生命のミクロからの震撼 ——新唐人新年祝賀祭をみて 文/純曲
(明慧日本)12月21日、私は2回目の新唐人新年祝賀祭を見に行きました。公演が始まる前、私は劇場の前で通行人に新年祝賀祭のチラシを配りました。次から次へとバスがやってきて劇場の前で止まりました。下りてくる人々の中には東洋人もいれば、西洋人もいました。また、黒人もいました。ある華人のお爺さんが私の前にやってきました。私はチラシを渡すと、彼は受け取ってから余分に何枚かのチラシを求めました。私は彼に上げました。しばらくして、彼はまるで無邪気な子供のように、またもや私の前に走ってきてチラシを求めました。彼はチラシを自分の華人の友人に配っていました。これらの光景を見て私は感動しました。私も配ろうとしましたが、いつの間にか彼は自分の周辺の華人の友人に全部配り終えていました。
それから、一群れ一群れの黒人の学生たちがバスから下りてきました。彼らの無邪気で純粋な姿を見て、私は心を打たれました。このとき、ある金髪の若い女性の姿が私の目に入りました。彼女は銀色の杖を持って、私の前をゆっくり通ってチケット窓口のところへ行きました。異なる民族、異なる社会階層の人々が四方八方からやってきました。私の涙は止まりませんでした。なぜなら、私はたくさんの人々の顔から溢れ出る誠実さを感じたからです。新唐人新年祝賀祭は、彼らにとって永遠に忘れられないこととなるでしょう、それは、師父が彼らをここまで導いてくださったからです。
続いて、私も人波にそって劇場の中に入りました。一番目のクログラムの「誓約」の音楽が徐々に鳴りはじめ、流れ出た涙が私の視線をぼんやりさせました。この心地良い音楽は、まるで眠り続けている人々の心を叩くように、人々の良知を目覚めさせて、人々の善の心を引き起こしています。また、人々の宇宙の特性「真・善・忍」に対する渇望をも引き起こしています。姜敏さんと白雪さんの歌声は、広々と響き渡り、あたかも天上から来たようでした。彼女らの声は、多くの物質を突き抜けるように、原子爆弾の衝撃波よりも強烈に人々の心を震撼させました。
「精忠報国」の中で岳飛の母親役を演じる女優の動作と姿勢の一つひとつは、真に迫り、「精忠報国」の主題音楽を聞くだけで、私の涙は止まりませんでした。私の身体のすべての細胞は、この音楽によって全部震撼しました。音楽の中のすべての音符は、長い歴史の物語を表現しています。何度にも亘って輪廻しながら、私たちを捜し出して、私たちを連れて、今日まで歩んで来られた師父のことを思うと、ここに集まってきたこの何千人の観衆にとって今日という日は如何に幸運な日であり、また、師父の果てしない慈悲の心の深さを実感することができました。私の涙は、またもや流れ出て止まりませんでした。身体全体が震えていました。泣く中で私は、心から修煉の中で自分自身の足りないところに気付くことができました。ここ数年間、私はずっと法の勉強をやってきましたが、しかし、いまこの瞬間のように自分の足りないところをこれだけ真剣に考えたことはありませんでした。
新唐人新年祝賀祭は、私にとても大きな衝撃を与えました。私の良く修めた面は、師父が無条件にこれだけ多くの衆生にあれだけ多くのことをやってくださっていることがわかっていると思います。わかっているその面が感じています。私は、この新年祝賀祭で見たすべての生命が多かれ少なかれ自分自身の足りないところに気付くのだと、信じています。ですから、救い済度されたのは常人だけではなく、大法弟子も同様に浄化されました。私は、師父はすべての生命に一番良いものを与え、大法弟子は衆生を救い済度するだけではなく、私たちも大法によって救い済度されていると、心の底から感じました。
新唐人新年祝賀祭に対して、傍観する、手伝う、欠点を探し出して議論する、具体的な事務に留まるなど、すべてを無条件で公演の必要に合わせて、自分のやるべきことをすべきです。これらすべては私たちの前に置かれている一人ひとりの心性と位置なのです。
2007年4月9日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/12/29/145729.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|