日本明慧
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内に向けて探す際、正法を基点とすべきである

(明慧日本)長い間、私はずっと私心、色欲に妨害されていた。自分の考えを常に注意していたが、大きな効果はなかった。ずっと根っこが残っていたように、猫がネズミを捕える遊びのように、ずっと旧勢力の妨害から抜け出すことができなかった。

 師父の「2003年旧正月十五日米国西部法会での説法」を読んで、私は突然悟った。法を正す時期の大法弟子が内に向けて探すことと、これまでにおける個人の修煉との異なるところとは、すべての問題を前にして、最初に浮かんできた考えは、師父はこのように按配されるか否か、正法がそれを必要としているかどうか、新しい宇宙がそれを成就しようとしているかどうか、未来のために残したこの道は正しいかどうか、といったように、法の基点にもとづいて自分自身のすべての考えと法の要求との間との距離を見出し、完全に自我を放棄し、100パーセント法に同化してから、まさに大聖堂の中にある腐ったリンゴのように、これらの観念および執着をただちに排除すべきである。

 正しくないところはぜひご指摘ください。

 2007年4月10日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/4/9/152359.html