利益を放下する中で、世の人々をもっとよく救い済度する 文/大陸大法弟子
(明慧日本)私は商売をしています。修煉する前、私は利益を非常に大事に思っていました。お金を儲けるために一生懸命働き、なめた苦しみは大変なものでした。いま振り返ってみると、人間とは、大変苦しくて可哀想なものでした。修煉した後、私は利益を追求する心のために、たくさんの苦しみをなめましたが、最後には、この執着心を放下しました。利益を追求する心を捨ててから、本当に師父のおっしゃる通り、実は何も損をしていませんでした。かえって、いいことがすべて訪れてきました。競争の激しい情況下で、商売の売り上げは逆に非常によくなり、業界でとても尊敬されるようになりました。
修煉の中、私は利益を追求する心を棄てる時の、心を削り取られるような辛い思いをいつも感じていました。時には手に入れた大きな利益を、はっきり分かった状態で放下しなければなりませんでした。執着心は法と対立します。しかし、修煉すれば、修煉するほど私はただ表面的に利益を捨てることから心を修めることができるようになり、最初に利益を放下した後、実は心の中でとても惜しむ状態から、最後には、相手のために平然と利益を放下できるようになり、ひいては関門を突破してからは、それを嬉しく思うようになり、だんだんと大法弟子としてあるべき成熟状態に達しました。
一度、全国の商品注文会に参加して、ある製品を注文しました。このブランド製品は、私たちの都市で、すでに販売している会社が一つありましたが、このブランド製品は種類がたくさんあって、総代理販売会社は一部分の製品の代理販売権を私にくれました。しかも、これは会社の決まりで、もし私がやらなければ、ほかの人にやらせると言いました。このブランドは国内マーケットで、売れ行きがとてもいいと分っていたので、私は代理店を承諾しました。送金後、相手はすぐ一部の商品を送ってくれました。
しかし、私が販売し始めると、もう一つの代理店の社長は私に対して怒り、私の如何なる説明も聴こうとしませんでした。私が彼の商売を奪い取り、マーケットを乱したと頑固に言い張りました。しかも、彼の息子が私を脅すという話までしました。そのとき私はとても落ち着いていました。もし、常人の理に従うと、「これは総代理販売会社の決定だから、私に怒ることではない」と返事をすればよかったはずです。しかし、修煉者にとって、偶然なことがあるでしょうか? 私は内に向かって探すとき、そのブランドの代理権を受け取ったとき、潜在意識の中で満足感、興奮と顕示心理を抱えていることに気づきました。そのとき「自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なのです」(『転法輪』)という、師父の言葉を思い出しました。
私はその社長に「安心してください。このことは必ずうまく解決して、あなたに満足できる返事をしますから」と言いました。この件に対して、私は常人のように正しいか正しくないかを争わない、常人の理は自分のために自分のことしか考えていないが、私は彼らと同じになってよいのかと思い、私はその人に「このブランドの代理権を彼に譲る」と言いました。するとマネージャーは「彼に譲ったら、私たちが間違っていると認めることになります。これは恥ずかし過ぎます」と言いました。しかし、私は彼に「この数年来、私たちの商売はますます盛んになりましたが、争った結果ではなく、私達の能力が他人より勝っているからではなく、逆に私たちが常に相手の立場を考えたから、人々に認められたのです」と言いました。私はまた大法の理を多く伝えました。最後にみな私の意見に同意しました。
この件に対応するとき、私は突然このことが師父のおっしゃった「住宅を配分する」例とまったく同じ情況だということに気づきました。住宅は上司が割り当ててくれましたが、最後に他人が争って、もって行きました。同じく私の製品も上の責任者がくれたものなのに、他人がどうしても奪い取ろうとしました。異なる事件であっても、見るのは同じく人心です。そして、私は相手に電話をして、「このブランドの代理権をあなたに譲ります。ただ、あと一万元余の製品がまだ発送されてないので、発送が終わったらマーケットを引き継いでください」と言いました。しかし相手はすぐ「こうしたらどうですか? 一万元余の製品を全部私にください。代金の一万元は払いますから」と言いました。そのとき、私は驚きました。何でこの人はこれほどひしひしと迫るのか、と。しかし、同時に私の利益を求める心がまだ徹底的に捨て切れておらず、残っている製品を販売して多少の返しをもらいたいと思っていることに気づきました。
師父は私にこれっぽっちの微小なものさえ残させず、きれいに捨てさせました。そして、私はさっそく彼らに製品を受け取りに来るよう連絡しました。当時たくさんの人が来ましたが、中にはその社長の息子もいました。私は彼に「大法を修煉しているから、このように対応します。さもなければ、私が譲ると思いますか?」と告げ、彼に大法の真相を伝え、どうやって善良な業者になれるかなども教えました。結局、彼は「三退」に同意しました。
利益を追求する心を捨ててから、私は心の中が楽になりました。商売も思うようにでき、常人のようによく「疲れている」という状態はありません。ある取引先は「なぜだか分らないが、私は常にあなたはいい人だと思っていて、あなたと商売をしたくなるのです」と言ってくれました。また「あなたの商売のやりがたは他の人と違います。いつも他人のことを考えています」とも言ってくれました。私は彼らに「私がいいのではありません。大法が私を変えたのです」と教えました。そのため、私は彼らに真相を伝えるとき、いつもうまくいっています。この数年間に、私が取引先と社員に真相を伝え、「三退」した人数は約千人ぐらいです。
大法弟子はどこにいても、必ず自分の果たすべき作用を果たせると私は思います。
2007年4月11日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/2/24/149592.html)
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