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山東省の法輪功学習者・李海さんが生前迫害された事実

(明慧日本)山東省諸城市の法輪功学習者・李海さんは生前中国共産党に迫害され、長期間、邪悪な徒に脅迫、ゆすり、暴行され、2002年陰暦12月23日(中国の伝統の節分の晦日)、自宅で死亡した。享年67歳だった。

法輪功学習者・李海さん

 李海さん(男性)は、諸城市出身、大法修煉前に胃病や足に痛みがあり、タバコとお酒がなかなかやめられなかった。法を得て、師父の教えに従い、心を修めよい人になろうとして、法を学び煉功するにつれて、足や胃の痛みが消え、タバコとお酒もやめ、若い人のように活発になった。

 1999年7月20日以降、江沢民集団が法輪功の弾圧を始めてから、地元の中国共産党書記・李永明、政治委員会書記・王新軍の指揮の下、派出所所長・李逢春および数人の警官が李海さんに修煉を放棄するよう迫った。1999年7月22日、彼を連行し、体罰を加え、さらに地元共産党員全体大会上およびテレビで大法を誹謗するよう強要した。そのため李海さんは精神的にも肉体的にも大きく傷つけられた。

 2000年6月、7月、李海さんの息子の李文勝さんが地元政府に法輪功を続けると声明したため、不法に40数日監禁された。そのため、李海さんは毎日数キロも歩いて弁当を届けに行き、さらに畑仕事をしなければならなかった。その間、悪らつな警官は彼に対して人身攻撃を加え、彼は精神的に大きく傷つけられた。さらに過度な疲れで、息子に弁当を届ける途中で馬車にぶつけられ道端に倒れ、馬車の運転手にひき逃げされた。幸いうめき声が隣の村の人に聞こえて彼を家まで送り届けた。当時足に重傷を負い、膝から血が流れ、10数日動けなかった。それでも悪人は彼を許さなかった。李永明、王新軍は警察を指揮し彼に金を借りさせ、自分の不動産を抵当にかけさせ、ようやく息子を釈放した。

 2000年10月、李海さんの奥さん・封守蘭さんと息子・李文勝さんが北京に上申に出かけ、不法に拘留された。李永明と王新軍の指揮の下、警察の李海さんに対する迫害はもっとやり放題になった。当時、諸城市公安局は派出所に5000元の罰金を科した。そのため、警察の李逢春などは毎日李海さんの家を訪ね、金をゆすった。ときどき彼を派出所に連行して暴行を加え、さらに専任担当を決めて自宅を監視させ、彼を尾行した。

 息子と奥さんが不法に拘留され、迫害されていた期間中、ある晩、諸城市政治保安大隊と派出所、共産党鎮委員会、共産党村委員会などの警官、悪人10数人が李海さんの家を訪ね、李海さんを恐喝し、不法に家を荒らし、大法資料やラジカセなどを持ち帰った。警察の李逢春はさらに箒で李海さんの頭を殴り、金を出すよう迫った。さらに金を出さなければ家から追い出すと脅した。そのようにして李海さんの一年間の収入がゆすられ、さらに仕方なく牛を売り、農作物などを売って金を用意させられた。息子の李文勝さんの給料も郭方学に横領され、家はほとんど根こそぎ略奪された。年寄りの李海さんは病気のある体で毎日アルバイトの給料と親族の援助でやっと生活している。

 李海さんの息子の李文勝さんは不法に1カ月拘留されてから、さらに鎮委員会と派出所に連行され40数日監禁され、さらに不法に3年間の労働教養を言い渡された。その間、李海さんは毎日息子に弁当を届けなければならなかった。

 このような迫害で、李海さんはときどき気が遠くなり、涙が流れた。あるとき、悪人・郭方学、郭方明にそそのかされ、警察の李逢春が派出所で李海さんに対して恐喝し、罵って、鉄の道具で李海さんの頭を殴った(李海さんは生前の口述で、彼の病気は李逢春に殴られたためできたのだと言った)、李海さんはその後、精神朦朧とし、胸がきつく、全身に力がなく、警官を見たとたん怖くなり、彼の体の状態がだんだん悪くなり、足にときどき20センチの膨れが出て、上半身が痛くて我慢できず、血を吐いた。このように病気が彼を2年間苦しめ、さらに精神的ダメージは言葉では言い表せない。さらに労働教養所に迫害されている息子を心配して、李海さんは2002年陰暦12月23日、死亡した。死亡直前までついに息子に会うことはできなかった。

悪警の李逢春

 2007年4月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/12/22/145231.html