日本明慧
■印刷版   

山西省太原の法輪功学習者・康治国さんが生前受けた迫害の一部

(明慧日本)山西省太原の法輪功学習者・康治国さんは2004年正月に山西省晋中刑務所で暴行されて半身不随になり、2005年5月死亡した。

 康治国さん(1954年生まれ)は、太原市西山石炭電気グループ会社の職員で、1997年法を得て、1999年7月20日のとき、康治国さんは山西省委員会に上申に出かけ、不法に逮捕された。2000年2月、康治国さんは北京に上申に出かけて逮捕され、その後不法に労働教養1年を科せられた。

 2002年、官地派出所所長の張子山、教導員・張世平、副所長・馬保銀、王志亮(4人が法輪功学習者・楊慶敏さんの死亡に直接にかかわっていた)が彼に「転向書」を書くよう迫ったので、康治国さんと法輪功学習者・李国正さん2人は仕方なく家を離れ流浪しなければならなかった。

 2002年10月1日、康治国さんが太原市興華南団地で真相資料を配るとき、邪党の役人に不法に逮捕された。邪悪がそのため「101大案」捜査本部を成立し、法輪功学習者20数人を連行し逮捕した。万柏林区公安副局長・楊明喜、鄭永生などが康治国さんに対して非人道的な迫害を加えた。

 万柏林看守所において、悪人の受刑者・呉克などは康治国さんに対して複数回にわたって迫害、暴行を加えた。2002年12月9日と2003年7月22日、万柏林看守所と太原看守所がそれぞれ法輪功学習者・丁立紅さんと王志明さんを迫害して死亡させた。王志明さんを死亡させたのは万柏林看守所副所長・賈俊峰、馬医者などの警察官だった。悪徳警官・鄭永生が発砲し法輪功学習者・崔中江さんと孟峰偉さんは両足を怪我した。

 2003年11月初め、康治国さんは山西省晋中刑務所に監禁された。警察の趙衛忠が彼に「転向」しろと脅迫した。12月末に最初の集中的な暴力迫害が強行され、受刑者を指示し康治国さんを迫害した。警察の趙衛忠は受刑者たちにこう約束した:康治国を転向さえできれば、どんな手段をとってもいい、過程をみない、ただ康治国を転向させるのだ。おまえたちの刑期軽減はもちろん問題ない、どんなに減らしてもいい。

 受刑者たちは康治国さんに対して長期間立たせて動かせないなど、いろんな迫害を加えた。殺人犯の段師は毎日康治国さんをひどく殴った。最後に康治国さんは半身不随になった。この迫害が1カ月に及んだ。

 2004年5月に新しい迫害が始まり、警察はもっと邪悪になり、雇った受刑者ももっと凶暴になった。侯森彪(暴力団、誘拐犯人、20年の刑期)が棍棒で康治国さんを殴り、康治国さんが「助けて」と叫んでも、警察官は聞こえても、悪人を制止するどころか、「黙れ」といって、康治国さんを壁に張り付けて立たせた。

 今回暴行に参加したのはさらに、王敬東(殺人犯、無期限懲役)、胡文学などがいた。今回の迫害は2,3カ月に及び、康治国さんは1日が一年のように長く苦しんでいた。

 2005年5月18日、康治国さんは2004年に暴行されたときの半身不随の病気が再発し、3日後この世を去った。

 全事件の首謀者:警察官の孔祥晶、趙衛忠。直接暴行を加えた受刑者の段師、侯森彪、王敬東、胡文学。

 2007年4月24日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/1/4/146152.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/1/17/81776.html