問題を解決するには心性から探さなければならない
文/広東の大法弟子
(明慧日本)私は下宿先で数人と同居しているので、人が行ったり来たりすると、法輪功のサイトを閲覧したり真相資料を郵送したりするのは非常にふべんだ。そこで私は、インターネットに接続する長いコードを買って自分のベッドの所まで引けば、他人による妨害はなくなると思っていた。この考えはずいぶん前から考えていた。ちょうど数か月前に、長いコードを買ってみた。しかし、帰ってからつなげてみても、インターネットはつながらない。そのため、この考えはしばらくの間実行できなかった。しかし、最近になって常人の出入りに気を配り、大法のことに専念できないため、私はもう一本のコードを買って、再びもう以前買ったコードを出してつないでみたら、二本のコードのいずれもインターネットにつなげたことに気づいた。私は、コードがつなげたことが非常に嬉しかったが、一方、二本目のコードは買う必要はなかったと思って、ずっと気にしていた。
夜になってから、私は再びノートパソコンをベッドの上に置いてからコードを差し込んでも、インターネットに接続できなかった。昼にやったときはできたのに、と思って何度も繰り返しやってみたが、やはりつながらない。その時、コードの品質の問題だと思って私は非常に機嫌が悪くなった。
しばらくすると、私はやっと修煉者の考え方で物事を考えるべきだと気づいた。これは邪悪の妨害であり、正念をもって取り除くべきである。しかし、私の正念は不足していて、心を静めて正念を発することもできなかった。しばらくして、インターネットが使えなければ「心を修め欲を断つ」という冊子を見ればよいと思い、この文章を見始めた。見ていくうちに、自分の考えが少しずつはっきりしてきて正念が強くなっていくのに気づいた。
私は、自分の仕事における歓喜心と財物に対する執着を反省し始め、師父のおっしゃった、羅漢の境地に達する直前に歓喜心を起こしてただちに落ちてしまった物語を思い出した。修煉者はいかなる時であっても歓喜心を持つべきではなく、落ち着いた心構えを保持しなければならない。コードの件について、私は歓喜の心を抱くべきではない。本来、そうなるべきだからだ。インターネットに接続できないこと自体に問題があるので、自分の内に向けて探すべきである。
それと、私の財物に対する執着もあってはならない。私は、自分が以前買ったコードが当時は使えなかったが、今は使えるようになったのは、自分の修煉の状態の反映ではないかと思った。私のこの件に関する心構えが正しければ、師父も私を助けてくださる。しかし、私はこれほど汚い常人の心で神聖な修煉と向き合うのは非常にあってはならないのだ。
そう思うと、私は突然なんの操作もしていない状態でインターネットに接続でき、いつものようにインターネットが使えるようになった。
この件を通して、私は再び以下のように感じた。問題の背後には修煉者の心が作用をはたらいている、問題を解決するには、まず心性から探さなければならない。つまり、師父がおっしゃったように、何事においても内に向けて探すべきである。
2007年4月25日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/4/24/153407.html)
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