日本明慧
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喜ぶ心

(明慧日本)私はまさに重荷に耐えられない状態に陥ろうとしていると感じました。大法を実証するいくつかの仕事がすべて私のところで停止していました。他の同修に一部を分担してほしいと望んでも、同修はわたしの望みにはまったく無関心でした。私は最初同修らを不満に思いました。仕事がこれほど多いのに、私はどうすればよいのか? その時の茫然とした心情は言葉では語りつくせません。まさに「欲渡黄河冰塞川、将登太行雪満山」(黄河を渡らんと欲すれば 冰 河を塞ぎ、まさに太行に登らんとすれば 雪 山に満つ)(李白の詩)でした。

 仕事をやめよう、心を静めて法を勉強しようと思いました。学法するとき、私は思想の中の一念一念に注意し、法に基づいていない念が絶えず飛び出てくると、すぐそれらを片付け、片付け終わったらまた学法しました。

 学法するとき、私は意識的に日常に浮かび出てきていた色欲の心を取り除きました。法を正して今日に至っているのに、どうして人心がこれほど重いのでしょうか! これは修煉に入門する最初の関門なのです! 私はこの方面での常人の観念がまだ根本的に変わってないことに気づきました。それが飛び出てくると、私は正念の中で大法を選択し、それを取り除き、常人の観念を徹底的に捨てました。

 それから私は、自分が仕事をする中で、新しい人類の文化を創始する心が世の人々を救い済度する心より重いことに気づきました。何がこの背後の原因でしょうか? 私は人心を混じえて仕事をしていたため、仕事をする中でこの次元でみるととても正しいと思われることが、さらに高い次元では法に符合しない観念であること、つまり完全に法に同化されず、法を実証したことによって、仕事をする意欲が生まれました。この意欲が知らないうちに作用を果たし、私の衆生を救い済度する心を淡白にさせ、更に迫害を暴露し、同修を救援することにおいて麻痺した態度に陥りました。書くべき文章を書かず、やるべき仕事を後に延ばし、一部の仕事は延ばし続けて、もうその影もなくなりました。

 同修に対する私の不満は、すなわち汚い嫉妬心でした。同修が真に自分を助けて向上させてくれない、ただ仕事だけを私に押しつけると思い、また同修が学法することを嫉妬し、同修が良く修めていることを認めようとしませんでした。自分が精進の意志を緩めたため、法に基づいて真に向上できないことを、同修から助けをもらっていないせいにしました。

 さらに考えると、私はどうしてこれほど多く、異なる仕事を持っているのでしょうか? 法を正す進展の需要であるのもありますが、また自分自身の人心が作用したのです。多くのことを把握しておいて、自分を豊かにさせる、まるで常人のように自分を完璧にさせたい心がその中にありました。大法に必要な仕事ということで、自分の人心を隠し、あのすべてを引き受けたい観念(根本的にはやはり嫉妬心)のため、あれもこれもやり、法に基づいて仕事をしなかったため、法の加護と加持を得られず、疲れるとまた不満に思い、悪循環に入ってしまいました。やるべき仕事は延ばし続け、何度もやるのをやめ、衆生を救い済度することに対して、ますます冷淡になり、感覚が麻痺していました。

 2日間学法した後、私は法を正す進展がこれほど速く、大法は大法弟子に神の一面を表して、衆生を救い済度することを要求する肝心のときだと意識できました。このように家で学法し、いつも学法を通じて、自分を良く調整してから仕事をすると、これはまた個人修煉の輪に入ってしまい、邪悪の迫害をはっきり見分けることができず、正念を持って、邪悪が投げてきた、ここに積み上げられた敗ける物を否定できず、またそれを自分の取り除くべき心と思っては、どうやって法を正す時期の大法弟子でしょうか? 私は家に隠れて学法してはいけない、私は家を出て同修らと交流すべきでした。

 交流の中で、私たちは以上の様々な問題を分析し、同修と比べる中で、私はこれらの問題が積まれた根本的な原因は、日々に自分の修煉に対する要求が疎かで、一念一念を法に同化させることを緩め、5式の功法をいつも全部煉っていない口実があって、自分の怠ける心、安逸を求める心を放任し、それによって法の異なる次元でのさらに深い内かんが見えなくなり、法を正す進展に追いついていけなくなったことが分りました。

 意識できたら、最も基本的なことからやるべきです。大法弟子が衛星からのラジオ放送を受信して、集団煉功をする機会を借りて、自分の安逸を求めるなどの人間の観念を徹底的に変え、精進し、法を正す進展を追いかけるべきです。

 今日午後5時に正念を発するとき、師父の「大法弟子が現在行っている全ては皆世の人々と衆生を救い済度することであり、迫害を暴露し制止しているので、邪悪による各種の迫害行為を認めてはならず、迫害の中で邪悪が思うままに大法弟子を迫害することはなおさら許してはいけません」「悪徳の警官がスタンガンを使っていても、または悪人が薬物を投与して大法弟子を迫害していても、正念を用いて、電流と薬物を暴行を加える者の身に流れていくようにすることができます」(『正念をもって悪事を制止する』)私は思想の中で、私は李洪志師父の弟子だ、他の按排は一切要らない、邪悪の黒い手、卑しい鬼らが投げてきた一切の宇宙の敗ける物は元に返還する、これらの宇宙の敗ける物をあれらの黒い手と卑しい鬼と共に解体し取り除く、と一念を発しました。この一念が出たら、重い感覚がたちまちなくなりました。(当然ながら根本的に人間の観念を変えることは緩めてはいけないのです)

 6時に全世界大法弟子が共に正念を発する過程の中で、眼前に一念がふっとひらめいて、私が本来持っていたすべての技術の背後には私心があると感じ、この時になって、私ははっきりと、あのすべては私が同修を助ける有力な道具であると感じ、私心のある自分が影も形もなくなりました。静の中、他人のために代価を払ったため嬉しい心がおのずと生じました。さらに法を正す時期の大法弟子として、このとき、師父を助けて法を正すことは真に大法弟子の栄光であるとも感じました。法に同化する瞬間、本来私心によってもたらしたすべての旧宇宙の敗ける物はたちまちすべてなくなりました。

 以上は、この数日間の僅かな体験であり、同修らの指摘を願います。

 2007年5月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/4/30/153730.html