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『蒼宇劫』の中の大法の法理に符合しない二つの点について


 文/海外の大法弟子

(明慧日本)私は『蒼宇劫』のすでに発表されていた文章を読んでから、個人的にこの小説は大法弟子が文学という形で法を実証する一種の努力であり、しかし真偽が交わる中で、修煉心得として交流することは、極めて厳粛でなく認めてはならないと思います。

 私個人としては、一つ目の大きな問題とは、神通力と功能を強調しすぎたことです。小説の中の主人公は、神通力と功能を求めるために大法の修煉を始めたかのように感じさせます。天目が見えるようになり、神通力を使えるようになったことで、大法を讃美し、修煉を続けることは、より多くの他の空間の見えない人々に、あまり良い影響をもたらすことはできません。

 これは、大法の法理に符合していないと思います。中国大陸の大多数の中国人は、中共の無神論に毒され、しかも大多数の学習者は天目が見えません。つまり、衆生は迷いの中で善悪をわきまえ、迷いの中で自分の選択を決意しなければなりません。大法弟子は、迷いの中で法を学ぶことで生み出された正念をもって修煉を維持しなければならないのです。

 いかにして、より多くの中共邪党に毒された衆生を救うべきか、彼らに法輪大法の本当のすばらしさを伝えるかは宇宙の真理であり、大法弟子は全体として努力しなければならないと思います。

 二つ目の問題は、決して何でも師父の説法であったかのように書いてはならないということです。

 以上は、個人の認識にすぎないので、間違いがあればぜひ指摘してください。

 2007年5月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/5/12/154585.html