長春、大連での師父の講法クラスに参加した思い出
文/中国の東北地区の大法弟子
(明慧日本)師父は1994年に長春、大連、ハルビンと延吉で功を伝え説法された。弟子に対する慈悲深い日々の情況を思い出す度に、私は涙が出るほど感動し、永遠に忘れることができない。師父の誕生日と長春で功を伝え説法されてから14周年になったことをお祝いするために、私は師父が1994年の4月末〜5月初め、故郷の四つの都市での5回の説法期間中、私が見聞した事と悟ったことを書き出し、師父に対する敬慕の意を表したい。
1994年4月29日〜5月8日、私と長女は光栄にも師父が長春で行われた7回目の伝授クラスに参加した。4月28日晩、列車に乗って長春に着き、長春駅前の旅館に泊まるように按排された。チェックインする時に、ある北京から来た50歳余りの女性の大法弟子がいたのに気づいて、私は好奇心で「あなたは北京の人なのに、どうして北京で学ばないで、長春まで来て法を学びますか?」と聞いた。彼女は直ちに「私は8種類の病気があったが、北京で7回伝授クラスに参加して、7種類の病気がよくなった。あと1種の病気は良くなっていない。だから師父を追って長春クラスまで法を学びにきました」と言った。(もちろんこれは新しい学習者が法理をよく理解していない時の考えである。真の弟子に対しては、師父はとっくに体を浄化してくださったので、修煉の人には病気はない)。
長春クラスに参加した学習者は3千人余りいたので、鳴放宮会場はとても大きいが、やはり学習者が入りきれなかった。学習者に法を得てもらうために、師父は昼間のクラスと夜のクラスに分けて伝授された。師父は毎日2回講法されて大変だったが、しかし師父はいつも慈悲で、穏やかで、顔色がつやつやしていた。
私は初めて師父の講法伝授クラスに参加して、師父は和やかで親しみやすく、気さくで、至る所で修煉者の模範であると感じた。伝授クラスで私は師父の後ろと両側に別空間の神が師父の講法を聞きにきたのが見えた。3日目から、私の目の前は色とりどりの光の環が現れて、全身が軽くなって、疲れた感じはなかった。私は師父の慈悲で和やかな顔を見て、師父のよく響く声を耳にしたが、それはまるで昨日のようだった。
師父が講法される時は、1枚のとても小さい紙しか用意されていなかった。私が遠いところから見ても、ただいくつかの問題のテーマだけが書かれていた。しかし、1回の講義は2、3時間もかかったが、師父はいつもよどみなく流暢に話され、天文から地理まで、古今東西のことをよく知っておられ、簡単明瞭で、深奥でありながらごく分かりやすく説法された。学習者は気楽に心地良く、慈悲で和やかなエネルギー場に溶け込み、宇宙の最高の法理—真、善、忍の中に浸った。師父の説法は学習者にどのように一人のよい人になるかを分からせたので、私の心性と次元を絶えず高め昇華させた。これは私の伝授クラスでの感想である。今思い出しても、本当に感謝の気持ちがいっぱいで、感激の涙があふれて、比類のない幸福の中に浸っている。
伝授クラスで私は、帰って来た後にどのように大法を現地で伝えていくかを突然思いついた。私は師父に報告して伺い、師父の返答をいただき、具体的に指導された。だから私達の現地の大法学習者は絶えず増えてきて、修煉者は何百何千にも増加した。
師父はよく学習者の気持ちを理解して、学習者を思いやられた。5月1日、記念に残すために師父は親切に学習者と一緒に写真を撮られた。私は師父の左後方に立って、長女は師父のそばに立っていた。先生は鳴放宮の前門に立って、時々東のグループにまで行って立ち、 時々西方のグループに行ってまで立ち、1組ずつ続けて撮影をされた。私はずっと師父のそばに立って、先生がそのように苦労しておられるのをみて、非常に心が痛かった。しかし、師父はずっと満面に笑みをたたえて、すべての学習者の要求を満たされた。学習者はこの上なく感動して、ひとしきりの拍手が起き、佛光がその場面を本当にあまねく照らした。
伝授クラスが終わるまでに、師父はまた自ら学習者に長春での7回目法輪大法伝授クラスの修了証書を書かれた上、師父の大きい印章を押して、私達に交付された。
199 4年7月1日〜8日、私は一番目の妹、一番下の妹、姪、長女と師父の大連での伝授クラスに参加した。クラスで姪は財布をなくしたが、翌日大連の責任者は演壇の上でマイクで「ある人が財布を拾ったが、なくした方は受け取りに来て下さい」と言った。姪は演壇に上がって受け取った。伝授クラスでは、何もなくさなかった。7月8日、伝授クラスの修了式の上で、長女と姪は師父に錦の旗を捧げて、旗には「大法を堅修し師は道を導く、大法を全世界に広げるように発揚する」と書かれていた。修了式の壇の上で、師父は両手で弟子の捧げた何枚もの旗を受け取られて、そしてすべての弟子と親切に握手をされた。私は感動して感激の涙があふれ会場は熱烈な拍手が鳴り響いた。家へ帰る列車の中で私は寝つき、列車が新民駅に着いた時、私は突然目が覚めた。目を開くと一面の眩しい光の塊が見えた。どのようにまばたきをしても長時間消えなかった。私はびっくりして喜んだ。一番上の妹は「師父もこの列車に乗って北京に帰られる」と言った。これは師父が列車の中で功能とエネルギーを発したもので、師父の威厳と奇跡が、いつも私を励ました。
1994年8月5日は、私の全家族にとって、もうひとつの忘れ難い祝うべき日である。妻が一番上の妹、長男の嫁、孫、長女、外孫(娘の子供)といっしょにハルビンのアイスホッケー・リンク場で4千人のために行われた伝授クラスに参加した。1994年8月20日、長女は師父の延吉市での伝授クラスに参加した。これらのことを思い出すと、この上なく幸せで、この上なく光栄です。
7. 20以降、悪党は大法を破壊し、私達の師父を攻撃して、全国で天地を覆い隠すほどの嘘と誹謗中傷に、世間の人は戸惑った。邪党は師父が金をかき集めて私腹を肥やし、伝授クラスを利用して儲けたと言ったが、実際は師父には10日間の講座を開いてただ40元だけ納めており、全国の気功伝授クラスの中で費用は一番低かった。その上師父が直接料金を徴収しないで、すべて現地の気功協会が料金を徴収した。師父は延吉クラスで受け取った7千数元を、修了式で現地の赤十字会に寄付された。師父は衆生を救い、名利を求めず、 佛恩は広々としていた。
1994年12月30日、私と40人の同修は大連体育館で6千数人のために行われた説法会に参加した。師父が会場に入られる時、会場全体が立ちあがった。拍手の音は雷鳴のように響いて、師父を歓迎する場面は言葉で表すことができない。私達は3時間師父の説法を聞いた。師父は毎回の伝授クラスと同じように、学習者のために体を調整された。師父はみんなに、自分にある一つの病気を思い、もし自分に病気がなければ、家族の人の一つの病気を思いながら、師父が号令を出して、手を振られると、みんなはいっしょに足を踏みならした。師父は会場の全員を2回に分けて体を調整された。弟子達は起立して、師父の号令を聞いて、師父が手を振られるのを見ていた。会場の圧倒的多数の人は気楽に心地良いと感じて、疾病はいつのまにかなくなった。会場は長時間人の心を奮い立たせる拍手の音がこだまして、皆広々とした佛恩とこの上ない幸せな喜びに浸った。
またたく間に14年が過ぎたが 、師父が長春、大連で功を伝え説法された時のことを思い出すと、今なお記憶に新しく、ありありと目の前にあるようだ。邪党の前例のない残酷な迫害の中で、私は各種の人心と執着心が反映して、時には精進できず、大きな差と不足があり、師父の慈悲な苦しい済度に面目がないが、弟子として、三つの事に最善の力を尽くして、自分の過失を補って、決して師父の望みに背かず、師父について行って、正しく最後の道を歩んでいくしかない。
2007年5月13日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/5/7/154251.html)
|