必ず旧勢力の時間における妨害を取り除かなければならない
(明慧日本)最近私は、一部の同修が時間における旧勢力の妨害が非常に大きいと感じました。仕事で非常に忙しかったり、家庭においてさまざまな事情があったりして、その結果として三つのことが大きく妨害され、学法する時間もなく、学法や発正念をしても心を静めることができず、長い間このような状態にとどまり、時にはそれを変えようと努力をしても大きな効果は見られない。
私も一年前に、時間において非常に強く妨害され、しょっちゅう残業するようになり、しかも自分としても残業しなければならないと感じていた。そこである同修が、「これではいけません。学法の時間すら保証できなければ。」と私に言った。そこで私は初めて、私はいったい何のために来たのか、私は何をしに来たのか、何が一番重要なのか、私は何を成就しようとしているのか、そして私は何を失っていくのか、などと自分に問いかけてみた。
そのあと、私は自分が長い間旧勢力による妨害を突破できず、自分の観念と執着を放下できなかったことと大きく関連していることに気づいた。仕事や生活の中で、常人の形式に符号しながら修煉しなければならないのだが、決して仕事や生活の中で常人の心構えに符号することを意味しない。私は遠い昔から、自分がこの仕事の環境の中で大法を実証し、真相を伝え、衆生を救い済度することを誓ったのだと思う。しかし、この仕事の中でどのように良い人になるのか、どのように事業を達成させるのかではない。私はどうしてこの仕事をしているのか、どうしてこのような技能を持っているのかは、すべて偶然ではない。私の身の回りの人々はすべて私に済度されるためにあり、私の技能こそが法を実証するためにあるのだと思った。
このように思うと、私の考えもだんだんとはっきりしてきた。いかにして、仕事や三つのことの間の関係をいかにして処理すべきなのかが分かってきた。私は以前、残業しなければならない、仕事の中で良い人として行わなければならないという考えは個人の修煉にとどまっていて、この点がちょうど旧勢力に隙に乗じられ、旧勢力の按配にしたがったことになる。私は、旧勢力がこの点を利用して、私の正法における作用を妨害することを重視しなかった。私は、この環境を利用して三つのことをしっかり行うが、決して仕事の中の得失、または個人の得失に執着してはならず、仕事と家庭の環境は、ただ生活を維持させるためのものではなく、衆生を救い済度することや大法を実証することとも大いに関連している。
私の考えが変わると、環境もだんだんと変わってきた。それから私はほとんど残業しなくなった。これは、私の観念が正しくなったことで師父も按配してくださったのだと思う。
今となっても、なお時間において妨害されている同修に提言したい。個人の仕事、生活が三つのことを離脱していないだろうか、利益の心などを完全に放下できたのだろうか、もしそうでなければ旧勢力はさらにあなたを忙しくなるように妨害するであろう。もし師父が法を正すことを基準として考えれば、環境はただちに変わるであろう。
個人の考えにすぎないので、正しくないところは指摘していただきたい。
2007年5月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/5/17/155035.html)
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