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北京女子刑務所:法輪功学習者・董翠芳さんは虐殺された(写真) (明慧日本)董翠芳(女性)さんの、別名は董翠で、医学大学院を卒業し、北京順義区保健所の医者で、河北省藁城市興安鎮の人である。2001年に、董翠さんは婚約者の申文傑さん(29歳、大学卒、河北行唐の人で、北京首都空港の優秀なパイロット)と共に、真相資料を配布していた際に不法に連行され、北京順義留置場に監禁された。2002年に、2人とも順義区裁判所で5年の懲役を下された。2003年3月11日、董翠さんは北京大豊女子刑務所に移されてから、8日目(3月19日)に虐殺された。彼女は29歳になったばかりだった。
董翠さんは2003年3月11日の午前中に北京女子刑務所の3分区に移された。3月12日、区長の田鳳清は、凶悪な警官である習学会を、董翠さんを「転向」させる責任者として派遣した。かれらと一緒に行った者は、李小兵、章剛瓊、朱宝蓮、李鳳芹等である。彼女らは「交替で一人に立ち向かう作戦」で彼女を昼も夜も休みなく囲んで攻撃した。彼女らは董翠さんが国の法律に背いたので、罪を認めて「転向」しなければならないと強調した。董翠さんは真相を伝えることは、違法ではなく、違法なのは政府であると反論した。そこで彼女らは強制的に董翠さんに双盤をさせ、両手、両足を縄で縛り、徹夜で「タカを煮る」と言う刑罰で董翠さんを眠らせなかった。彼女らは、これらは体罰ではなく、董翠さんの、あぐらをかく能力を見る「試練」だと狡猾に言った。董翠さんが彼女たちに協力することは「試練」であり、協力しないことは「忍」が足りないことだと、董翠さんの優しい心と忍耐力を利用して脅迫した。 トイレに行かせないので、董翠さんは断食するしかなかった。それに対して彼女らは、「自傷行為」「自殺傾向」だと言った。「強制双盤」の刑罰は李小兵、李小妹とjin紅衛達が区長の田鳳清の指揮下で、研究して作り出した刑罰の一つである。彼女たちが陰険悪辣に思っていたことは、人に強制的に双盤の方法を用いると骨折や筋肉が切れることなく虐待できるし、外傷もなく、所謂「ののしったり、殴ったりしないで体罰を加えること」が出来る。万が一問題が起きても、法輪功学習者が自ら煉功して起きた自傷行為であり、自分達の罪を言い逃れする為には、いい方法だと思っていた。実は刑法に背いた、違う形の体罰なのである。 董翠さんはこのように監獄の心理相談室で7日間の虐待を受けた。2003年3月17日、董翠さんは「罪を認める」所謂「決裂」書を強いられて書かされた。18日の朝、董翠さんはユダの李小兵に向かって、自分は、師父は神様だと堅く信じていると表した。翌日の午前、田鳳清は董翠さんを凶悪な警官・習学会に渡して、浴室で董翠さんを殴る手配をした。浴室は監獄から遠く離れており、見張りはいなかった。董翠さんを浴室に入れた後、5人は交代で繰り返し靴の先で董翠さんの額面を蹴り始めた。この刑罰は李小妹、李小兵、勤紅衛らの発案で、人を苦しめる方法の一種である。彼女たちは額の骨は硬いから骨折することなく、大脳や心臓にも障害を与えることがないので、生命の危険もないと思い用いた。彼女達が董翠さんを虐待する目的は、殺すことではなく、残忍な手段で肉体に耐え切れない程の苦しみを与え、心身ともに我慢できなくさせて、信仰を放棄させるのが目的だった。しかし、後になって気が狂ったように殴ったり蹴ったりした。その中の1人の参与者は「後から殴ることに、気が狂いました!」と言った。かれらは董翠さんに試練を与えると公言しながら、気が狂ったように彼女の体中を蹴ったり殴ったりした。 董翠さんは、このような残酷なめに合わされて虐殺された。かれらは彼女が息をしていないのを見て、脈拍を測ったが脈はなくなっていた。この時、午後3時30分ぐらいだった。そこでやばいと思った凶悪な用心棒達は彼女を引っ張り上げて見ると、彼女の頭は完全に胸先まで垂れていた。そんな彼女を監獄まで引きずって、監獄の門前まで来たとき、彼女は既に危険な状態で下にしゃがんでいた。そんな彼女を心理相談室の小さなベッドに置いて、水(董翠さんはずっと喉が渇いたと叫んでいた)を飲ませたが、数口を飲んだ彼女は腹痛で苦しんだ。獄医者である張暁が来て、血圧を測ってみると血圧がなかった。数分後、救急車が監獄に来た。 女性監獄の生産現場で働いていた多くの受刑者は、窓ガラス越しに、李小兵等が布を被せた担架を持ち上げ、女性監獄入口にある救急車に向かって行くのを見ていた。病院に運ばれ、検査の結果すでに死亡が確認された。 董翠さんは3月19日に死亡していたが、5月17日になって、火葬された。刑務所の管理局は女性監獄内外に対して、完全にこのニュースを封鎖し、上から下まで口を同一にして董翠は「正常な死亡に属する」と言った。 董翠さんが死んだ後、彼女の母親が北京の女子刑務所に行ってみると、彼女の死体は、悲惨で見るに耐えられないほど青紫の鬱血が充満し、両足は腫れて紫色になっており、右肩の骨と筋肉はどろどろであった。そこで董翠さんの両親は上訴を求めて、北京の医療法律鑑定センターに検死依頼を出した。4月14日の検査結果により、董翠さんは確かに殴られて死に至ったことを表明した。しかし、刑務所の脅しと利益の誘いで、家族はしかたなく告訴を放棄するしかなかった。 董翠さんが残酷に殺された直接の原因は、北京の女子刑務所と監獄管理局が上から下まで系統的に起こした犯罪であり、その根源は中国共産党の悪党が国家全体の司法機関を脅迫して系統的に行う犯罪にある。 「国際調査団」はすでに董翠さんが残酷に殺された事件に対して追及しており、調査している。そして、田鳳清、習学会、周英等を調査人名簿に入れて追及している。日時が長くなっても、きっと最後まで追及して、最後は「国際法」と、中国の「刑法」に従って、犯罪人を制裁する時がくると思っている。中国は必ず道義ある正義的な社会を迎えることが出来る。 2007年5月31日 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/5/31/155946.html) |
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