苦しい環境は自分たちの選択によるものである
(明慧日本)今日『転法輪』の第九講を読んだときに少し悟ったことについて皆さんと交流したいと思う。
たくさんの大法弟子が、非常に苦しい環境にあるのは自分の選択であると思う。それは、ただ業力による按配のみではない。なぜなら、師父は説法の中で言われたように、90%以上の大法弟子は高い次元から来たのであり、法を正す時期の私たちが師父のもとで法を実証するには、さまざまな階層に学習者がいなければならないため、私たち自身が今世の環境を選択したのであり、そのうちの一部は非常に厳しい環境にある(もちろん旧勢力の悪意から按配された要素も当然あるが)。
一部の同修は小さいころから常人からして非常に厳しい環境の中で生活をしているのは、自分の業力が大きいためだと思っているようだ。実はそうとは限らない。その同修は人間界に来る前の当時、慈悲心からしてより厳しい環境を選び、その環境の中で大法を実証することを選んだのかもしれない。そのため、一部の同修は、大法は福をもたらすものなのに、自分はどうしてちっとも感じないのかと恨むようになった。実は、その同修が当初、できるだけ厳しい環境の中で修煉し、衆生を救い済度することを選んだことは、たくさんの神々を感動させた行為ではないだろうか。
もう一つの角度から見ると、私たちのしているすべてのことは、自分および自分の衆生のためにやっているのであって、師父のためにやっているものはない。ここで、より多くの苦しみを耐えることで、自分の威徳を立てるなどといったような考え方で同修を励ましたくないのは、このような考えは非常に私に基づいた考えだからである。実は、私たちは迷いの中で生まれたとしても非常に幸運ながら大法を得て、自分の誓約を実行できることが最大の幸運である。たくさんの縁ある人がいまだに大法を得ていない。どれほど残念なことだろうか。
それらの苦しい環境にいる同修たちは、これらのことについてはっきりと理解し、自分が前世に作った業力が大きいことで、さ迷ったりためらったりしないでほしい。三つのことさえ影響されなければ、法を実証することさえ影響されなければ、すなわち旧勢力の按配を取り除いているのである。私たちはただ、偉大なる誓約を果たすことに没頭すればよいのである。
個人の認識にすぎず、皆さんと交流したいと思う。
2007年6月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/6/156271.html)
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