■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/06/08/mh112889.html 



私たちの心の中には師父しかいない

(明慧日本)1997年4月12日、私は幸運にも大法に出会いました。二日間で『転法輪』を読み通しました。二回目に読んでいるときに「真に修煉しようと思う独学の人にも、この大法の本を読んでいる時に、同じように身体をきれいに浄化してあげます。そればかりではなく、あなたの家庭の環境も片付けなければなりません。これまで祀っていた狐、イタチなどの位牌は、早く捨ててください。すでに浄めてあげましたので、存在しなくなりました。」(『転法輪』)という部分を学びました。当時、師父はこれほど偉大で慈悲であると感じ、翌日仏像を人に渡しました。法に対する理解が深まると、心の中には師父と大法しか残らなくなりました。

 なぜなら「修煉は、昔から不二法門のことが重んじられており、本当にこの法門で修煉しようとするならば、この法門の経だけにしてください。」(『転法輪』)と師父はおっしゃったからです。大法弟子として、私はただ私たちの師父を拝むことで百パーセント師父を信じ、百パーセント法を信じることになると思います。

 仏像を拝むことについて、師父は強制的にどのようにすべきだといったような説法はなく、ただ自分たちの悟りによって行われてきました。しかし、私たちも法に基づいて悟るべきです。修煉は専一にすべきで、すべての妨害を排除し、すべての人心、観念、執着を取り除くべきです。正法の最後の段階になっていまだに他の仏像を拝んでいては、本当にまだ何を放下できていないかを内に向けて探すべきです。私たちの家庭の環境は純粋であるべきです。そして私たちも純粋なる心で師父を尊敬し、着実に精進し、やるべき三つのことをしっかりと行うべきです。

 以上は個人の認識に過ぎないので皆さんからのご指摘をお願いします。

 2007年6月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/8/156422.html

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