法の勉強さえすれば、すべてが変わる 文/河北省大法弟子・小清
(明慧日本)実は私は97年に『転法輪』を読んだことがある。その時この本はとてもすばらしいと思い、修煉したかったが、当時は学校を卒業して仕事を始めて、恋人もできたばかりで、多くの執着心が捨てられず、修煉はもの凄く高い境地にいる人がやるもので、私にはなかなか出来ないと思い、修煉の決心を固めることができなかった。
私が本気で大法の修煉を始めたのは2005年6月だった。その時、夫の浮気に気づき、ショックを受けて病態になり、常に精神が不安定で、生き続けたくなく、目の前のすべてがいやになっていた。本当に師父が『転法輪』の中に説かれた、主意識が自分の身体を制御する意志すらないような状態に近かった。しかし心の中にはまた捨てきれないものがあった。息子のことは放っておくことができなかったため、どうしても自分を救いたくて、病院にも行ったし、いわゆる仙人にも診てもらった。振り返って見ると、それは本当に苦しい時期であった。幾多の紆余曲折を経て、ようやく母の勧めの下で、また『転法輪』を読み始め、やっと大法の修煉を始めた。
再び『転法輪』を読み始めたら、もう二度と放すことができなくなった。こんど『転法輪』を読む時、師父は私にたくさんの大法の内包を見せてくださり、今まで見たこともないものを見ただけでなく、今まで知らなかった多くの道理を悟った。この時私は目の前に一本の大きな道が現れたと感じた。私はこれこそ私が歩くべき道であり、そこにこそ私の家があると切実に感じた。
最初、法を得た時、とても大きな妨げがあり、とても多くの邪魔も現れてきた。しかし私はいつも一つの強い力が私を引っ張っていて、私に大法を離れないようにしていると感じた。その時も、心が不安定な状態が常に出ていたが、法を勉強する時だけ心はとても平静になり、法を勉強しないと心はとても乱れた。だから私は一刻も大法の本と離れることができなかった。いま私はいつも、大法がもう一度私に新しい生命を与えてくれたと思う。わたしは私の生命は師父が延ばし続けてくださったと思う。わたしを修煉させるために伸ばし続けてくださったので、勇猛精進して、師父の期待に背かないようにしないといけないと思う。
私の状態は法を勉強することによってだんだん変化が起きた。2005年9月以降になると私の心も平静になってきた。しかしこの時、母親に病業状態が現れた。最初はあまりひどくなく、同修を呼んできて發正念をすると、よくなったが、しばらくしたらまたひどくなった。その時私はまだ修煉し始めたばかりだったので、どのようにしたら自分の一念から彼女を助けて執着心を探せるかがわからなかった。ただ彼女の状態が悪くなるとすぐ同修を呼んできて助けてもらうしかなかった。その時同修たちもとても重視して、毎日やってくる同修がいて彼女と一緒に法を勉強した。しかし彼女の状態はやはり明らかによくなることはなく、2006年1月には亡くなってしまった。
母親の死は私にとってもう一つの大きなショックだった! 同時にまた私の法に対する信念が堅いかどうかを試す試練だった! 母親は口で師父を呼びながら去っていった。わたしはその時、母は心の中でまだ師父を思っていたから、それは正念であると思っていた。ならばどうして母親は死ななければならなかったのか? 母親の遺体の前で私は一回もう一回聞いていた。「お母さんは今何もかも知っているでしょう? その理由を私に教えてくれませんか?」と。
修煉してから、私は何も見たことはなかった。しかし母親の遺体から霊が離れる前、私は母親が目を開いているのをみた。あの眼つきは彼女がこの世にいる時とは違って、彼女は笑っていた。同時に私は彼女の遺体の側に金の姿をした一つの佛の姿が現れ、座禅をしながら、私に向かって笑っているのを見た。しかしそれは私たちが普通見る佛像とは違った。その瞬間、私は何もかも分ってきた。私は自分の歩むべき方向と自分の責任が分ってきた! 師父の慈悲なる教えに感謝します!
母親が亡くなった後、私は大体一カ月間の調整を経て、また三つのことをやり続けた。私の仕事はパソコンと関連する仕事だったので、インターネットに接続して、資料をダウンロードしたり、資料を印刷したりすることはわたしにとってとても簡単なことだった。同修の負担を減らすために、わたしはずっと自分で真相資料を作ってきた。うちの近所だけではなく以前母が常に行った所にも行って、真相資料を配った。普段は縁のある人に会ったら彼らに真相を伝えた。特に私の会社の人は今ほとんどすでに「三退」した。日中はほとんど定時に發正念をする。仕事が忙しくない時は、大法のホームページを閲覧し、大法書籍の電子版をパソコンにダウンロードして、常にパソコンで学法する。私は自分がこのような仕事をしているのは、きっと師父が私に法を勉強し、三つのことをやるように按排されたと思う。
法を勉強するに従って、いろんな執着が自分も知らないうちになくなった。私はずっと母親に対する情がとても厚かったので、とても彼女に会いたかった。私はこれが執着であることを知りながらも捨てられず、心の中ではとても焦っていた。その後、同修に励まされて法を暗記し始めた。法を暗記するに伴い、突然ある日私は母親に対する情がほとんどなくなっていることに気づいた。再び彼女のことを思い出す時、まるで私は前世のことのようで、まるでわたしと関係があるような、関係がないような、とても遠い昔のことのように思われた。大法はこれほど不思議だった!
精進する同修に比べると私はまだ差がとても大きい。私はできるだけ利用できるすべての時間を全部利用して大法の仕事をしたい。しかし夜の時間はずっと上手に利用することができなかった。わたしは普段11時すぎたら寝る。12時の發正念をし終わってから、寝る場合がとても少ない。時には眠くてしょうがないから寝てしまう。時には家族のみんなが寝るから、私にも一緒に寝るように言ってくる。私は彼らの睡眠に影響することを恐れて、しかもその中には情に動かされる部分もあるから、つい一緒に寝る。(しかし12時の發正念はする)毎日大体5時に起きて煉功する。時には4時に起きる場合もある。私は寝る時間がちょっと長いと思う。
私は發正念と煉功する時よく眠ってしまう。このことは私が修煉し始めてから今までずっと完全に突破できていない。私は多くの原因を探し、ネット上の同修の眠気を突破することに関する交流文章も読んだが、大した変化はなかった。しかしその眠気は弱くなっていると感じている。しかし、とてもゆっくりと弱くなっている。数日前に、ネット上に載っている同修の文章「三つのことと睡眠との関係を正しく処理する」を読んで大きなヒントをもらった。私はただよくやったことはよく修めたことではない、と悟った。例え毎日寝る時間がとても少ないとしても、あの安逸を求める心を捨てなければまた作用を果たす。例えば、私はいつも6時前に煉功を終えて、それから發正念し、再び暫く寝ようとする。表面的にはやるべきことを全部やったが、あの安逸を求める心は取り除かれていない。
大法を修煉したため私は大いに利益を受けた。私はとても自分のすべての変化と体得を書きだし、同修らの助けになることを願っていたが、私自身があまり文章を書くのが上手ではないし、しかも大法が私に与えた内心の変化は完全に表すことがとても難しい。例えば修煉の中で私が100個のよいものを得たとすれば、今日話したのはただその中の5個にしかすぎない。そして私は師父の話された元の言葉を引用したかったが、もとの言葉を覚えていないし、一瞬またどこにあったか思い出せないから、探し出せなかった。私は今後更に努力して、すべての同修たちと共に精進して、わたしたちの使命を完成させる決意である。
正しくないところについて、同修らの慈悲なる叱正を願う!
2007年6月10日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/4/24/153405.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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