集団の発正念では誰一人として欠けてはならない 文/河北大法弟子
(明慧日本)法を正す進展が最終段階に至り、邪悪の勢力も過ぎ去っています。しかし、まだ大陸各地で、私たちの地区も含め、邪悪に不法逮捕されるような事件が多数起きています。
我々は師父が按排して下さった三つのことをしっかり行いながら円満成就し、新宇宙において大法が作り上げた法を正す時期の大法弟子であり、邪悪の最後の狂気とあがきに対し、徹底的に否認します。少し前、これら地元の邪悪の破壊と不法逮捕について、高密度に発正念し、真相を伝え、邪悪を暴露する等の努力をしましたが、表には顕著な変化がありませでした。(もちろん、物事の結果だけを見るのはよくありません)。
事後、これらを振り返り、実際、自分は発正念を重視していないことに気付きました。焦ってはいるが(人心のため)、正念を発するとなると経文に書いてある「頭が絶対はっきりし、理性的であり、念力が集中しており、強大なのです。宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません」(「正念」)のような勢いが出ません。世界同時に正念を発する時刻においても、重視しませんでした。発正念には私一人でも欠かせないことに気がつきませんでした(大法弟子は皆一つの総体である)。しかし、集団で発正念することを重視しない考えは漏れがあるのではないでしょうか、邪悪に隙を与えたのではないでしょうか。
師父は説法の中で「全世界の大法弟子は同じ時間に正念を発するときのエネルギーは無限です。ですから、すべての大法弟子が強い正念をもって最初からしっかり行うことができたら、今邪悪はもう存在しなくなったかもしれません。たくさんの学習者が妨害され、あれこれといろいろなことに妨害されているので、よくできていないのです」(「2007年ニューヨーク法会での説法」)とおっしゃいました。
「大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説」の中でも、「本当に静かになることができる時、その一念で十分天地を驚かし、できないことは一つもありません。すぐにあなたが覆っている範囲内の全てを定め、抑制してしまうかのようになります。あなたは一つの山のように、すぐにそれらを抑制することができます。考えがいつも落ち着いていなければ、それはいけません。落ち着いていなければこれをやり遂げることができません」とおっしゃいました。
私は正念を発することにまた新たな認識を得ました(大法弟子は学法がよくできていることを前提として)。それは、発正念は師父が大法弟子に邪悪を取り除き、世の人々を救い済度するために説いてくださった法なのです。個人的な悟りでは、修煉とは、「信」が先、「悟」が先、そして、法を師とすることです。師父へ、大法への正信があったからこそ、堅実に歩み続け、初めて全てを得ることができ、神の一面の強大な正念を発揮でき、大法を破壊する全ての邪悪を根絶でき、全ての黒い手と卑しい鬼、共産党悪党の邪悪な幽霊と旧勢力の乱神を解体することができるのです。いつも、師父を信じる、大法を信じるような言葉を口ずさんでいるのですが、師父を信じ、大法を信じ、その堅い信念はどの程度のものなのか、自分に質問して見ました。しかし、「三つのこと」を実行する時の自分自身の動きこそがその人はどの程度の正念を持っているのかの現われだと思います。この種の怠慢がもし一般的な現象であるのなら、これは大きな損失になります。師父を信じ、大法を信じ、師父がおっしゃった通りに行い、法を第一位にすることができてこそ、ようやく自我(気付いたのと気付かないのを含めて)を放下でき、金剛不壊の集団が形成でき、法を正す進行過程について行けるのです。
邪悪は存在するものではない、新しい宇宙には彼らのいかなる要素も存在しないことを悟りました。邪悪を取り除く機会を一つも逃してはいけません。全員で強大な正念を発し、邪悪の身を隠す場所がなくなるまで発正念を重視し、もっと理性かつ冷静になるべきだと思います。すべての大法弟子が毎回の発正念を重視し、集団での発正念に欠くべからざる自分なのです。師父は我々にすべてを下さいました。
2007年6月13日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/1/155998.html)
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