■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/06/16/mh194563.html 



全世界同時発正念と同時煉功の取捨選択について

 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)一部の同修は、非常に煉功を重視しているが、発正念についてはあまり重視していない。特に、午後12時(日本時間午前1時)の全世界同時発正念をなかなか実行できない学習者がよく口にする理由とは、起きれない、ということである。しかし、起きれないと言いつつも、午前3時50分からの同時煉功にはちゃんと起きている。このような取捨選択は法理をしっかり認識していないうえ、私心と惰性が入り混じった結果だと思う。

 実は師父は「2007年ニューヨーク法会での説法」の中で、世界同時発正念および同時煉功の二つの問題について、それぞれ説法なさった。この二つはそれぞれ対立するものでなく、お互いに補い合うものである。もし、時間の都合上どうしても取捨選択するのなら、どちらがより重要だろうか。このことについて同修たちは一緒に考え、交流してほしい。実際のところ、たくさんの精進できている同修は、この二つのどちらもよくできている。

 同時発正念の重要性について、師父は説法の中で触れている。最新の経文「2007年ニューヨーク法会での説法」の中で、師父は次のように説法なさった。「仕事をしながらでは、間違いなく正念をしっかり発することができません。どうしても無理なら、仕事をすればいいのです。かまいません。後で補えばよいのです。しかし、全世界の大法弟子が同じ時間帯で正念を発するときの力量は計り知れないものです。ですから、すべての人が強い正念でこのことに対処し、最初からしっかり行なうことができれば、邪悪は今すでになくなっているかもしれません。多くの学習者は妨害されており、このことあのことで妨害されているため、しっかり行なうことができません。 」

 全世界の大法弟子が同時に発正念をすることは、邪悪を取り除くことである。もし誰かが発正念をしなければ、そこに漏れが生じてしまう。よって邪悪は漏れから抜け出してしまうのである。私たちはいつも師父の説法が掲載されることを期待しているが、しかし、師父の説法が掲載されてからそれを読んでみるだけで、実行しない。法は学ぶためにあるものでなく、実行するためにあるものである。

 以上は個人の悟りにすぎないので、適切でないところはぜひご指摘願う。

 2007年6月16日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/12/156740.html

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