■日本明慧 http://jp.minghui.org/2007/06/20/mh235670.html 



黒竜江省の法輪功学習者・呉宝望さんが生前に受けた迫害(写真)

(明慧日本)黒竜江省双城市青嶺郷の法輪功学習者・呉宝望さんは2002年5月17日に双城市第二留置場で濃い塩水を強制的に注入された後、意識を失い、同日この世を去った。(過去に報道されたことがある)

呉宝望さん

 呉宝望さん(36歳男性)は黒竜江省双城市青嶺郷の人だった。法輪功を修煉してから、「真、善、忍」に照らして、自分に厳しく要求し、善の心を持って人に接し、喜んで人を助けた。自宅の前の道が歩きづらいのをみて、自ら道を修繕した。村の人々はみな彼を善い人だと褒め、ある女の子は「私は呉宝望さんのような人になりたい」と言った。

 江沢民邪悪集団が法輪功を迫害後、呉宝望さんは法律に基づき3回北京へ陳情に行き、9カ月間監禁され、その後は1年間不法に労働教養された。刑務所から戻ってきた後の、2002年4月19日の夜10時過ぎ、村の公安、郷党支部書記と派出所の2人の悪辣な警官は無理やり呉宝望さんの自宅に侵入し、不法に呉さんを連行して、元の双城市第二留置場8号監房に監禁した。監禁された当日、呉宝望さんは8号監房の邪悪な受刑者・甄国維に何回もびんたを食らわされた。

 不法に監禁されている間、呉宝望さんは慈悲を持って、一緒に監禁されていた受刑者らに「法輪大法はすばらしい」、法輪功は無実の罪を着せられている、と伝え、多くの受刑者は真相が分かるようになった。

 2002年5月13日、呉宝望さんは真相を説明し、「世界法輪大法デー」を記念するために、8号監房に不法に監禁されていたすべての法輪功学習者と共に「法輪大法はすばらしい!わが師父の潔白を返せ!法輪大法はかつてない冤罪だ!」と大声で叫んだ。双城市第二留置場はすべての悪辣な警官を動員して、8号監房に飛び込み学習者を大いに罵った。その中で黄彦春という邪悪な警官(この人は背が普通の高さで、少し痩せている)は呉宝望さんに対して、拳で殴ったり、脚で蹴ったりしたので、呉宝望さんは口から鮮血を流した。同時に、邪悪な警官は「鉄背錠」というものを使って、呉宝望さんの両腕を後ろに回し、両手首に手錠をはめて、呉宝望さんの上半身が動けないようにした。食事をする時、トイレに行くときさえ、人の助けが必要だった。

 双城市第二留置場の不法な迫害に抗議するために、呉宝望さんは断食断水を始めた。それから4日目、つまり2002年5月17日、すでに動けなくなっていた呉宝望さんは悪辣な警官が派遣してきた4人の受刑者(幼名しか知らない、それぞれ小光、小威、でぶ、王である)により、8号監房から運び出された。留置場の後ろにある、暗くてじめじめしている空き部屋で、受刑者らは呉宝望さんに対して、管を使って、強制的に熱い濃い塩水を注入した。実際彼らはほとんど何の医療常識もなかった。その時、留置場の医者はそばでずっと笑っていた。

 呉宝望さんが8号監房に運び戻されてきたとき、口から薄い血が真っ直ぐ流れ出ていて、すでに意識不明の状態だった。たった30分くらいの間に、意識がないほど迫害されていた。呉宝望さんは8号監房に運び戻されてきてから、横たわっていたが、両目はけいれんしていたので、同室の人が留置場の医者である劉洪志を呼んできたが、彼は問題ないと言った。

 午後4時過ぎ、8号監房のすべての人が一斉に要求したので、呉宝望さんは悪辣な警官が派遣してきた4人の受刑者(呉宝望さんに強制的に濃い塩水を注入した4人)により病院へ運ばれた。1時間経たない内に、呉宝望さんは監房に運ばれて戻ってきた。その時、呉宝望さんはまだ意識不明で、脚には傷跡があった。呉宝望さんは野蛮に塩水を注入されたときに、食道と気管は管を挿し込まれて破裂した。夜8時過ぎ、呉宝望さんは呼吸が弱くなっていて、息は出る一方で、吸い込めなかった。8号監房のすべての人が強烈に要求したので、その夜の当番である悪辣な警官・王建文、那某は呉宝望さんをまた病院へ送った。

 翌日、8号監房に監禁されていた、4人の受刑者は邪悪な看守・王建文に呼び出された。看守は彼ら4人に、呉宝望さんは心臓病で亡くなったと偽証をし、塩水の注入のことは言わないようにと言った。4人の受刑者はそれぞれ馬成久、李光輝、甄国維、柱子(臨江郷の人)である。

 2007年6月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/6/8/156491.html

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