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最後になればなるほど、理性を持つべき

(明慧日本)最近、明慧ネットで中国大陸の幾つかの地区で数多くの学習者が交流会を行ったため、邪悪に不法逮捕されたニュースを知り、心苦しく思いました。法を正す進展が最後に近づき、邪悪の勢力が大量に取り除かれているのに、未だにこんな痛ましい事件が起きてしまいました。これは実に、真剣に考えなければならないことで、この件について、個人的な意見を述べさせていただきます。不適切なところは慈悲なる指摘をお願いします。

 個人の悟りですが、今、邪悪の生命と要素は残り僅かになりましたが、僅かでも邪悪がいる限り、悪さをするのです。邪悪はなんといっても毒であり、悪なのです。全般的には何もできないのですが、一部の地域に集結して悪事を働くことが出来ます。そのうえ、既に自分が消滅されるという結末が見えてきただけに、悪事もはばかりなく働き、まるで狂気のあまり理性を失ったかのようです。大法弟子に少しでも不正があれば、直ちに邪悪が隙に乗じて、破壊するチャンスを与えることになるのです。

 大法弟子はこのような形勢に伴って法を実証し、衆生を救い済度していますが、足元の道は本当に狭いのです。少しでもずれがあれば、旧勢力に迫害の最大の口実を与えることになります。師父は「理性をもって法を証明する」(『理性』)と説かれ、説法において一度ならず安全について忠告をされました。しかし、大陸のある地区の学習者は修練環境の中で知らず知らずに怠けだし、麻痺していくうちに、人心が出てしまい、或は、法を実証して衆生を救い済度する情熱がなくなり、まるでもう邪悪は存在しないかのように、お構いなく物事を進めました。

 明慧ネット上の交流からは、ある地区で法会を開く際に全く安全措置を講じないまま、知らせを配りまくり、交流会の規模、人数を制限しないため、結局、集団で不法に逮捕されることになりました。現在、大法弟子が衆生を救い済度するにあたって最も肝心な時期であるのに、これはなんと巨大な損失になることでしょう! ある所のひとりの学習者は横断幕を車に掛けて、公然と走り、さらに、その車でよそへも行ったりしました。結局、本人自身が迫害に遭い、現地の環境にも重大な損失をもたらしました。このような理性のない行動は、決して個人的な要素の仕業ではないのです。現地の学習者たちの心境と密接な関連があります。考えてみて下さい。もしも、現地の学習者が皆その時、法に基づいて阻止していれば、このような事は起きたでしょうか? そして、聞くところによれば、当時、相当な数の現地の学習者がこのやりかたを支持していました。ここで少しも同修を責めるつもりはありませんが、そのことで教訓をひきだすことによって、皆も注意を払うようになれば、今後、二度とこのような事は起きないとおもいます。

 法から見て、理性のない行為は、すべて人心が陰でコントロールしているのです。顕示心、歓喜心、闘争心、自分を証明する心、などなど。したがって、法を多く学び、良く学び、内に向かって探し、自分の一言一行、一思一念を律することが出来ていれば、最後になればなるほど理性を保ち、穏健な足取りで最後の道を歩むことができると思います。

 2007年6月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/10/156532.html