日本明慧
■印刷版   

劉亮さんの死亡に疑問点、610オフィスはびくびくして調査を妨げる


 文/青島膠州市大法弟子

(明慧日本)2007年6月5日の午前10時頃、膠州市公安局の王文龍、張応鎮派出所の所長・顔×ら計6人は、劉亮さんの父親の経営する工場を訪れ、不法に劉亮さんを捕まえようとした。6人の中の1人はオフィスで劉亮さんの父親・劉進興さんに「劉亮はどこに行ったか」と質問した。劉進興さんは「出かけた」と答えた。この時、残りの5人は如何なる証明書類も提示せず、一声もかけず、劉進興さんの自宅を録画した。また作業場に行っても録画をした。録画が終わったら、「劉亮が戻ってきたら、張応鎮派出所に来るように伝えてください」と一言残して、彼らは帰って行った。

 その時、劉亮さんはちょうど町に住んでいる叔母(お父さんの妹)・劉金美さんの家にいた。劉進興さんは電話で劉金美さんと息子に情況を伝えた。劉亮さんは父の電話をもらった後、家に戻って、お爺さんとお婆さんに挨拶をした後、地方へ行って働こうと思った。彼は夜8時に叔母の家を出た。しかしこれがなんと永遠の別れになるとは誰も知らなかった。

 6月7日のお昼、井戸の中に1人の青年の遺体があることが発見された。発見者は110に電話をかけ、3台のパトカーがやってきた。劉亮さんの家族は遺体を確認後、村委員会に知らせ、村委員会は公安局に報告した。午後3時、610オフィスの主任・王栄海ともう1人の太っている人、聞いたところ政治法律委員会の書記・高振華という人がやってきた。

 6月7日、初回の交渉で、劉亮さんが迫害されて死亡した事実に対して、張応鎮党委員会の書記は劉亮さんの家族に「騒がないでください。引き続き騒ぐとあなた達に対しても、私たちに対しても、何のよいこともありません」と言った。劉亮さんの叔父は「一級政府の指導者として、あなたが今言っているのは人間が言うべき言葉なのか? あなたの素質はなぜこれほど低いか? 子供が死んでしまったのに、まだ何かよいことなんか言うのか?」と言った。もう1人の幹部は「鎮から救済金を適当に受け取ることができる」と言った。王栄海は「まず案件を提起し、遺体を解剖してから、法律プロセスにしたがって、やりましょう」と言った。劉亮さんの叔母が「あなた達はいつプロセスにしたがって、仕事をこなしたか? あなた達は人の住宅、工場に行って録画する時、証明書類さえも提示しなかった。これは法律プロセスに従ったのか?」と言うと、王栄海は「もし本当にそうだったら、それも一部の人の作業ミスであり、われわれは追及する」と答えた。

 6月8日の午後、劉亮さんの両親など一家は再び鎮政府派出所に行き、言い方を求めた。政府と派出所には主要幹部がいなかった。11時、王栄海がまたやってきた。彼は条件を述べるように要求した。劉亮さんの父親は四つの項目を提出した。

 一、我が家にきて録画したとき、如何なる証明書類も提示しなかったことは違法行為であるので、当事者の責任を追及しないといけない。

 二、録画の内容に犯罪証拠があるかどうか、事実を明らかにするために、われわれは録画内容を見る権利がある。

 三、劉亮はどうやって井戸に落ちたか、凶悪犯を追及し、殺人犯は法律に従って裁かなければならない。

 四、劉亮は610オフィスにより迫害されたかどうかに関わらず、もし610オフィスが我が家を訪れなかったら、このようなことは絶対起こらなかったので、610オフィスは責任を負わないといけない、かつ損失を賠償しないといけない。

 王栄海は6月13日に張応鎮派出所に提出した条件に回答すると言い逃れをした。

 午後、王栄海はまた中雲事務所の1人の幹部と共に、劉亮さんの叔父のところを訪れ、彼に仲裁を求め、一緒に訪れたもう一人の幹部はいったいどのくらいお金を求めているのかと言ったが、すべて劉亮さんの叔父に拒否された。

 4日後、王栄海など悪人は上級の中共邪党の命令を受け取った。13日、彼らはすっかり態度が変わって、「私はごろつきだから、私が誰を恐れるか」というようになり、醜い顔つきを完全に公にした。

 6月13日、劉亮さんの両親と叔母、叔父などが張応鎮政府を訪れたとき、王栄海ともう一人の王という副局長、及び多くの警官もいた。警官らは他のオフィスに隠れていた。劉亮さんの叔母が一言言っただけで、20数人の警官が部屋から飛び出してきて、喧嘩でもする態勢だった。当時誰が部屋に入って談判するかは、かれらの一存で決められ、部屋に入る自主権さえ奪われてしまった。

 劉亮さんがいかにして井戸に落ちたか、如何に亡くなったかの原因は別として、まずは王某、後は王栄海が偉そうな態度で、罪状を宣告した。2006年12月20日に劉亮さんの自宅で不法に探し出した『九評共産党』、『党文化を解体』と各種の大法資料、及びインターネット接続に使う機械などを持ち出し、これらを持って、劉亮さんが海外と連絡があり、「反党、反社会主義」と中傷しようと企んだといい、実はこれらはちょうど共産党の罪状である。かれらは劉亮さんの死は自分たちとほんの少しの関連もないと否認した。

 本件に関するいくつかの疑問点と詰問:

 一、6月8日の午前、劉亮さんの一家が張応派出所へ行ったとき、1人の私服の警官が「あれほど体格の大きな青年を、まさに私は井戸から背負い出した、重かった」と言った。劉亮さんの叔母さんが「あなたは井戸に追い落としたときに、どうして救わなかったか? 2日もたって、救い上げても何の用があるか」と言った。その場にいた人たちは一言も言えなかった。これは何と説明するのか?

 二、民衆から通報をもらったときは、刑警大隊と警官が、案件を調査し、刑事事件を解決するのが、一般的常識だが、どうして刑警大隊の警官と110の警官はずっと1人も現場を訪れず、最初から最後までただ610オフィスの人だけだったか? 610オフィスは刑事案件を解決する権利があるのか? かれらには専門知識があるのか?

 三、誰が通報したか? 記録はあるのか?

 四、6月7日午前10時頃、張応鎮武装部の趙という幹部ともう1人の背の高い人がまたもや大河流村にやってきた。まずは村の事務室に行き、劉亮さんと彼の母親に対して学習クラスを開きたいといい、背の高い人はまた劉亮さんの家に行き、一言聞いてから帰って行った。この2人は誰が派遣したのか? 後になって、張応派出所の所長に聞いたら、彼は、「知らない」と答えた。どうしてこの2人は7日の午前に大河流村を訪れたのか? いったいだれがこの2人をあそこへ派遣したのか? 彼らは自分達が追いかけた人がすでに井戸に落ちたことを知っていたが、しかし劉亮さんの情況が完全に把握されていなかったため、情報を探りにきたのではないか? あの2人は誰か? 何しに来たのか?

 五、法輪功を煉る人は絶対自殺しない。これは大法の法理により定められたことである。師父は私たちに自殺は罪であると教えてくださった。しかもオートバイまで井戸に落とされた。このような自殺方法があるのか? それに劉亮さんは叔母に地方へ行って働きたいと告げたから、自殺の意思はまったくなかった。

 六、6月7日の日、劉亮さんの父親は子供のオートバイが見えなくなったことに気づき、この情況を王栄海などに教えたが、かれらは相手にしてくれなかった。6月8日、劉亮さんの叔父さんは人を探して井戸から劉亮さんのオートバイを引き上げた。刑事事件を解決に来たというのに、なぜ王栄海などは事故の当事者の家族から提供された情報に無関心なのか?

 2007年6月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/6/19/157195.html