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道士の話に天機を蓄え 70年後謎が解けた

(注:老人の口述を済南大法弟子が整理した)

(明慧日本)今年私はすでに81歳になり、ここで話したいのは昔自らが体験したことです。

 私の実家は済南市南部の田舎にありました。70年前、子供の頃に一人の修行道士が一緒に住んでいました。この人は40歳を超えており、年は大体父と同じぐらいに見えました。心根がとても善良で、同じ年の人でもいつも目上の呼び方をしていました。いつも私の両親を「小おじいさん」と「小おばあさん」と呼び、私を「小叔母」と呼んでいました。

 農繁期には彼が家事を手伝ってくれて、農閑期には托鉢に出かけていました。夜に帰っても明かりを灯さずに、部屋で何かをやっていたようです。時折奇怪で不可解な話をして、私たちはだれも理解できませんでした。父はよく彼のことを「磨道人」(方言:奇怪な行動を取る人)と言っていました。

 私は12歳の時の、いくつかの出来事を深く覚えています。ある日、澄み渡った晴天だったのに、彼は理由を言わずに家族全員をどこにも外出させなかったのです。昼近くになった時、突然、狂風が四方から吹き起こり、ひどく荒れ狂いました。大きな木が根元から抜けて倒れてしまいました。家屋の覆いも吹き飛ばされ、手を伸ばしても五本の指が見えないほどあたりは暗かったのです。約1時間後、ようやく明るくなってきて、太陽が出できました。もしも真正面からこの狂風にぶつかれば、人は皮膚が厳重に剥がれて大きな病になったり、命まで落としたりしたかもしれません。

 ある年、大干ばつで、三伏(暑さの最も激しい庚・カノエの日)に入って3日目に、やっと雨が降ってきました。村の人々は急いで農作をしていました。しかし、道士は私たちに植え付けをさせなかったのです。彼は「我が家の農作道具を先に他の人に貸して、彼たちが終わるまで待っても遅くない」と言いました。3日後にはもっと激しい雨が降り、植えつけたものが全部雨に流されてしまいました。雨が止んだとたん、土がまだ濡れていたにもかかわらず彼は私たちを督促し、早く植えつけないと田畑に苗が出にくくなると言いました。

 叔父が結婚した時、大喜びの日に彼は師父を呼び、お酒を一杯飲ませてよいかと私の祖父に頼みました。祖父は「家にいらして何年も経ったが、貴方の師父に一度も会ったことがない。早く招いてきなさい」と言いました。

 しかし、結婚の当日、お客がすべて帰った後も、彼の師父は現れませんでした。祖父はなぜあなたの師父を招かなかったかと聞いたところ、道士はとっくに来ていたが、ただ人は彼のことが見えないだけだと答えました。

 何年か経ちました。ある日、道士は両親に「これからもうここで修行できなくなったので、私は家を出ます。もし家に何があったら、私の助けを求める時、一本の線香を燃やして私の名前を呼んでください」と言ったが、家族は半信半疑でその話を聞いていた。

 また一年が経ちました。父の背中にたちの悪い瘡(かさ)ができました。たくさんのお金をかけてもなかなか治りませんでした。その時、「一本の線香を燃やして私の名前を呼ぶように」という道士の話を思い出しました。しかし、彼がどうせ人間なので、本当に霊験あらたかかどうか分かりませんでしたが、家族みなはもうどうしようもなく、試してみるしかなかったのです。

 夜、祖母は庭で線香一把を燃やし、道士の名前を呼んで「早く来てください」と頼みました。その時はちょっと寒い冬でした。夜は明けていなかった時、門を叩く音が聞こえました。開けてみると道士でした。彼は汗にまみれており、綿入れもびっしょり濡れていました。「家で何か大問題が起きましたか」が彼の最初の言葉でした。母は父の病気のことを説明しました。彼は瘡をみて「大丈夫、治しやすい」と言いました。彼は瘡を掘り出して傷口に薬を塗りました。翌日父は病床から降り、動けるようになりました。

 食事の時、彼は私の両親に「これからは、こうして(線香を燃やして)私にメッセージを送ることができない。一把の線香に至った礼遇を本当に引き受けることができない」と言いました。彼を見送った時、父は今度いつまた私たちに会いに来るかと聞くと、道士は「山の上にビルがたったり、井戸の水が家に流れたり、ランプのヘッドが下に向いたり、山々が半分だけ残ったり、人が死んでも埋めてくれなかったりした時は、私はまた貴方たちに会いに来る。その時、恐らく小叔母と小叔父にも会えるかどうか言い切れない」と言いました。

 両親はその話を聞いて顔色を変えました。人が死んでも埋めてくれないということは、人間の大災難ではないか? 何か救う方法がないでしょうかと聞きました。両親に再三聞かれ、彼はやっと「顔の上の印が見えなくなり、その印を消せば災難を通り越せる」と答えました。家族みんなはその言葉を深く覚えていましたが、その意味をどうしても解けなかったのです。

 そして70年後の現在、道士の言葉が一つ一つ実現してきました。今は山の上と下にビルが建てられました。井戸の水も家の中に流れてきました(昔は河や井戸から水を汲み上げていた)。ランプのヘッドが下に向いたのは電球のことを指しています。昔は石油ランプだったため、ヘッドが上を向いていたのです。さらに、ここは山地で、過度に採掘したことによって、ほとんどの山々が半分だけ残っています。今は、「人が死んでも埋めてくれない」という言葉だけがまだ的中していないのです。しかも、私はずっと「災難を通り越す」という言葉が謎のままで解けませんでした。私もよくこの事を子供たちに話しましたが、誰も信じてくれなかったのです。その上、子供たちはいつも私にこの話をやめさせようとし、その時が来ればみんなと同じようにすればよいと言いました。

 ある朝、私はドアを開けた時、ドアの隙間に挟んだ一枚のチラシを見つけました。中に何か書いてあるかと子供たちを読んでもらいました。「大紀元」という三つの字を聞いた時、「『大紀元』とは天象変化を研究するものであり、予め風や雨、天災人災を把握することができる」という道士の話をふっと思い出しました。続いて以下の話を聞きました。「天の神様は共産党を滅ぼそうとしている。従って、すべて共産党・共青団・少先隊に加入した人々及び悪事ばかり働く人々には、顔の上に印があり、大災難が目の前にきている。この大災難を通り越したかったら、幼名や別名又は仮名を以って、『大紀元』で脱党を声明すれば、顔の上の『獣』という文字の印が消え、永遠の平安を守れる」。

 私はまた「顔の上の印を消すと災難を通り越せる」という道士の話を思い出しました。ただの一枚の法輪功真相のチラシが70年間解けなかった「謎」を解いてくれました。当然ながら、法輪功のチラシがみんなを脱党させるのも人たちを救って平安を守らせるというわけです。

 家族全員が理解した後、それに従って共に共産党・共青団・少先隊を離脱しました。今日は私も人たちを救うために子供たちにこの事を書かせたのです。良い機会を見逃さないように、災難が本当に来れば、後悔しても間に合わないのです。

 70年前に道士は現在の出来事を予言しました。私は今もう80歳の老人になりました。私はみなさんに「有りとは信じずとも、なしとは信じるべからず」という古い話を理解していただくことと、みなさんの親戚や友人が無事安全であることを祈っております。

 2007年7月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2006/8/5/134826.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/8/18/76997.html