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自己を放下し、旧勢力のすべてを全面的に否定する(二)

(明慧日本)

 二、全世界華人新年晩会の時の修煉、 自我の放下

 去年の年初め、何回もの討論を経て、オタワで2007年の全世界華人新年祝賀祭を催すことを決定しました。2005年祝賀祭の苦難に満ちた過程を経験しことからか、私はその時まだ新年祝賀祭の天象の変化に鈍感でした。オタワの人手は少なく、大紀元自身の経営だけでもたいへんなのに、更に祝賀祭があるため、私は巨大な圧力を感じました。去年7月にわざわざ外地にスポンサー探しに行きましたが、収穫なし。去年の夏、私は2度も車事故を起こしました。

 しかし、私達は人員配置の詳しい計画を立てました。オタワ大法弟子の心はとてもそろっていて、チケットの販売は非常に順調であり、10月中にチケットは半分も売れ、スポンサーの獲得も結構よかったのです。まさに先生が「2003年元宵節の講法」で指摘されたように「大法弟子は一つの全体として協調がよくとれれば法力がとても大きい」。同時に、他の協調者が全体のために無私に多くの時間、心血を払ったことに比べて、彼らとの差を感じました。先生は『精進要旨』の「誰のために修煉するのか」の経文の中で、「人類社会は昔から今まで一つの道理が存在し、それは相生相克である」、同時に、「それは過去の理」、「相生相克の理は今後変化する」と指摘されました。実は、相生相克の理はいままさに変化していると自分も感じました。

 しかし、多くの事が順調にいったため、自我に執着する心も膨張し始めました。去年10月中にチケットは半分も売れましたが、大紀元に財務の危機がおとずれました。当時、私が全力を祝賀祭に投入し、大紀元を重視しないと考える学習者がいて、私のことをとても不満に思っていました。私は、他人が全く自分の苦労を理解していないと思いました、なぜなら賛助の方案に大紀元の取り分も含まれていますから。それで、じっと外に向かって探し、他人の責任にしました。甚だしきに至っては、悪の一面も現れて、「これはいい事ではないか、これでみんなが少し分担すれば大紀元経営の難しさも分かるだろう」と言いました。この話にある学習者が激怒し、彼女は私に電話をかけ、私の話は法の上に立っていないと指摘しました。さらに「大紀元セールスの営業額は次第に下がっている」と厳しく言いました。「私の売上高は下がっていない」と私はすぐ答えました。彼女は非常に厳しくこう話しました、「私はあなたの売上高を言っているのではない、大紀元の売上高だ。あなたは大法を実証しているのではなく、自分を実証しているのではないのか。あなたは他人に不平ばかりを言い、内に探さない。あなたの今の心性はもうずいぶん堕ちたよ」。

 実は、これらの話はすべて正しかったのです。私は自分のセールスを重視しましたが、作った大紀元の計画はあまりにも簡単すぎて、全体に対しての責任を果たしていませんでした。しかしその時、自我を守ろうとするため、心性が守れず、電話を切ってしまいました。確かに、自分には自己を実証しようとする心があり、しばしばこの点に気づかせようとするできごとがありました。しかし、私は自分が忙しく、交流する時間がないという理由で、自己を修める機会を次から次へと無駄にしてしまいました。ある時、妻がにこにこして、「私達数人の協調者は、何か事をやる時、自分のためという心は微塵もないわね」と言いました。私は直ちに賛同の意を表しました。すると、彼女はなんと、「あなたを除いては」と言ったのです。

 李先生は『2004年米国西部法会の法会』でこう話されました、「私(し)は過去の宇宙の根本的な属性であり、生老病死はその属性ゆえに生じた必然性だ。将来の法は円容なもので、公のためのものだ。宇宙の根本的な属性の変化により、宇宙の過程、生命の特徴にも根本的な変化をもたらした」。

 大法弟子は問題を見るとき、まず法の要求、先生の正法の需要を考慮すべきです。自分が事をなす時、出発点が時々私心を帯びることが感じられます。甚だしきに至っては自分でしたいことや表面的な結果が現れる事を第一位に置く一方、先生に要求されながら難度の大きい事を横にやって全力で投入できず、神の一面で法を実証することができません。だんだんと、圧力が大きい、忙しいことを理由にして、指摘の声にも耳を傾けようとしなくなります。今になってやっと変わり始めました。自分は最近かなり長い期間ずっと静かに学法できず、仕事をすることを精進だと見てしまうことを感じました。法の中に溶けていないから、自我の心は膨張し始めたのです。

 最近発生したある出来事が、はじめて私を目覚ましました。新年祝賀祭が終わったばかりの時、私はことが順調に運び、協調者同士の協力もうまくいったと思っていました。しかし、ある交流の時、一人の協調者は私に不満を言いました。彼女は自分が全体の協調の担当をしましたが、「ことのすべてはあなたが決めたのではないか」と言いました。表現も非常にきつかったのです。私の判断と相反したため、この突発的事件は、私にはとてもショッキングでした。その後私の応対も自我に固執する心を尽く表すものでしかありませんでした。完全に回避することができないところまで、はじめて目覚めて、はじめて真剣に自我に固執する心に向き合おうとしました。 

 私の内心はとても苦しく、かなり長い期間事務に囲まれ、心身ともに疲労する受身の状態から抜け出せませんでした。読書、発正念する時もプロジェクトの事を考慮してしまい、法の上で精進できない原因は法を学び続けられないことにあると分かっていませんでした。この事が発生した後、どんなに忙しくても、毎日朝必ず先に母と煉功し、学法をするようにしました。私には自我に執着するその心が見え、執着を捨てた後の軽やかさを感じました。

 実は、去年一時期法を学び続けることができた時、法の力と自我のない状態を感じることがありました。母と一緒に法を勉強してからのある時期、私は突然母との間隔がますます小さくなったように感じました。母も私のしたいくつかの事に対して突然興味を持ちはじめました。ある日の夜10時、私達はオタワの新年祝賀祭のマーケッティング、経営の情況を交流していました。母も近寄ってきました。私はマーケッティング、経営の会だからあなたは面白くないのではと言いました。しかし母は動かず静かに座って聴きました。すぐに12時に近づき、発正念の時間になって振り返ると、まだ母は精神を集中して聞いていました。事後、試しに母に分かったかどうか聞いてみたところ、母は「すべてわかった」と答えました。それから、母は自ら中華街の祝賀祭ポスター貼りを受け持ち、ほかの学習者と一緒に中華街でポスターを貼り、華人のコミュニティに純粋な場を造りました。

 李先生は『転法輪』の中でこう書いています、「本当の信息は元神から出しているが、彼が出したのは言語ではない。彼が出したのはある種の宇宙信息で、ある種の意味を表す」。ここから悟ったことですが、実は、同修の間の隔たりは言語ではなく、私たちの元神が出す宇宙信息が自我をもたなくなる時、あのような間隔もなくなるのです。

 先生の言うことに従って、三つのことをしっかりと行うことは、すなわち旧勢力のすべてを完全に否定することになるのだと思います。法を勉強し身につけるのが肝心です。今後、かならず先生の慈悲深い済度に背かないように、心を静かにして法を勉強し、三つの事をしっかりと行い、自己を放下し、無条件に先生の必要とすることを円容し、最後の円満に向かう道で精進する所存です。

 師父、ありがとうございました! 同修、ありがとうございました!

 (2007年カナダ法会での発表)

 2007年7月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/5/24/155499.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/6/3/86394.html