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北京朝陽区の法輪功学習者・王浦華さんは迫害され死亡

(明慧日本)北京朝陽区の法輪功学習者・王浦華さんは2007年6月13日に迫害され死亡した。死亡に至るまでに、王さんは北京強制労働人員派遣管理科の警察・孫およびその他の悪人らに自宅まで嫌がらせを受けていた。

 60歳近い王さんは、2006年2月22日に望京区610オフィスの孫玉良、朝陽区国安および南湖派出所所長・杜少峰がぐるになって捏造した証拠を使い、朝陽区拘置所へ強制連行された。王さんは15日間にわたり拘置所で残酷な迫害を受けたため、右目の眼底神経壊死によって失明し、左脇下のリンパ結節が変異したという。王さんの体がここまで深刻な状態になったにも関わらず、2年間の労働教養の刑を言い渡され、北京強制労働人員派遣所へ送られ、迫害され続けたという。

 北京労働教養所の警官は当時、王さんの右目が失明しつつあることを知りながら、彼女に対して毎日一番真ん中の前でビデオを見させ続けた。王さんは目を閉じることも許されなかったため、やがて左目の視力も急激に弱くなり、緑内障の症状まで現れた。それても、警官らは彼女に対して、毎日十数時間をわたり「坐板」にさせ虐待したという。

 王さんは北京労働教養人員派遣所に対して、自ら目の検査を強く求め、ようやく同仁医院の眼科へ連れて行ってもらった。結果は緑内障であることが分かり、眼底神経はすでに萎縮しており、治療不能だと宣告された。当時、王さんの体もひどい状態になっており、全身の筋肉、筋骨がひどく痛みを感じ、呼吸すら痛みを伴っている状態だった。この状況下に加えて、王さんの家族が毎日派出所に王さんの解放を求めていたことから、2006年5月25日に外部治療が許され、王さんは自宅に戻った。王さんはそれから4ヶ月半にわたり、法を勉強し、煉功をしたのち、体の痛みが消えた。

 しかし、10月17日、悪らつな警察は王さんが「自宅に戻ってから病気治療しない、定期的に報告しない、北京を勝手に離れた」ことを理由に、王さんを再び強制連行した。警察が王さんの自宅を訪れた当時、王さん1人しか在宅しておらず、警察は王さんがドアを開けた突端に手錠を掛け、上着も着せず、靴も履かせず、金品も一切持たさない状態で、4、5人の警察が彼女を持ち上げて車に押し込み、強制連行した。北京はちょうど冬に入り、気温が低くなっていたにも関わらず、王さんは薄着でコンクリートに寝かされた。王さんの家族も彼女が強制連行されたときの実際状況がわからないという。王さんは家族へ電話をかけることも拒否された。

 王さんは健康状況が急激に悪くなり、全身に激痛が走り、喀血したりした。その後、当方はようやく王さんを病院へ送った。王さんは天堂河医院病教隊に入院し、何度もの検査を経て、脇下にあったシコリがどんどん大きくなったことが分かった。医師は穿刺検査により「リンパがん」であることを宣告した。11月14日に家族に知らせ、外部治療の手続きを行わせたという。

 それから、王さんは自分1人では日常の生活ができなくなった。しかし、それにも関わらず、警官らが自宅にまで調査および嫌がらせをしていた。慧管らは家族に対して毎週「報告」の電話を強要し、特に「敏感日」になると恐喝電話がかかってくるという。

 王さんは亡くなるまで、北京強制労働人員派遣所に対して、無条件で自分を解放するよう求めたが、拒否され続けた。

 2007年7月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/7/6/158306.html