日本明慧
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本当に自らを修煉者として修めなければならない


 文/大陸の大法弟子

(明慧日本)最近、私は胸が苦しく感じていました。自分は修煉者なので修煉の道で乗り越えられないことはないと思いましたが、それに対して本当に悟りませんでした。昨夜、家に帰って夫(同修)と交流し合って、心が突然開かれ、明るくなりました。 

 私は三つの事を毎日していますが、いつも心性を守りきれなくて悩みました。それは本当に自らを修めず、心性を厳しく要求せず、何があっても無条件に内に向かって探せなかったからだと思います。何かがあるときは誰かの間違いで、誰かが正しいと思うことに関わらず、修煉なので、常人のような論争はよくないと思います。誰が正しくて誰が間違っていると論争するのは、常人段階の理です。私達修煉者はこの事に対して自分がいくら正しいと思っていても、その中には必ず自分が放下出来なかった常人の心があるはずです。さもなければこの事は自分の前に現れるはずがないと思います。

 このことに対して正しく認識出来なければ自分を正しく扱うことが出来なくなります。そうでなければ心に触れる言葉や心に刺激があることに出会うと、すぐ自らの常人の心が出てきて、あれこれの常人の心が浮き上がってきます。そうなると旧宇宙の理で行うことになり、心性が新しい宇宙の基準に上がってこられなくなります。いつも自分は正しいと思うなら、旧勢力はその隙を狙って、貴方は正しい、貴方は正しいとその考えを強化して、貴方を旧宇宙の理に陥らせるのです。そうなると貴方は法も学び、煉功もして、発正念もするけれど、根本から旧勢力を徹底的に否定することが出来なくなります。 

 これだけではなく、もし全てのことに対して無条件に内に向かって探すことが出来ないと、法に従って自らを修めることが出来なくなるので、旧宇宙の理の中にいることになります。それではどうやって新しい宇宙の神になれるでしょうか。今私は本当に自らを修める中で自らの執着心を取り除いて、法理に従って自らを正して、師父が説かれた法の中に溶け込めば、本当の新しい宇宙の神になることが出来ると悟りました。

 2007年7月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/7/6/158284.html