日本明慧
■印刷版   

師と法を信じれば不安はない


文/大陸大法弟子 李字(仮名)

(明慧日本)師父は「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かせることができることになります」とおっしゃいました。また「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」とおっしゃいました(『転法輪』)。わたしは師と法を堅く信じ、いつも自分が師父の弟子である事を覚え、しっかり三つの事をやり、魔難にあっても恐れる心はありません。修煉が今日まで至り、でこぼこではありましたが平穏でした。

私は1998年10月21日に法を得ました。その日、同修が私に一冊の『転法輪』をくれました。私は一気に80数ページを読み、言葉に出来ないほど嬉しく思いました。これこそ私が切に探した大法でした。師父はきっと私をつれて帰ってくださると堅く信じました。昼ごろ、仕事から帰ってきた夫が私の嬉しそうな様子を見て「今日はなんでそんなに嬉しそうなのか、何かいい事があったか?」と聞かれ、私は最高に素晴らしい本が見つかったと言いました。それは「真、善、忍」を修めるいい本でした。息子は聞くなりすぐに「お母さん、ぼくも一緒に修煉する」と言いました。そのとき、息子は8歳でした。こうして母と子2人が修煉の道を歩み始めました。毎朝4時に公園で煉功し、昼に法を学び、夜は同修の家で説法を聞くか、或いは交流や切磋をしています。

1998年7月20日、邪悪な江氏政治ごろつき集団が天地を覆い隠す勢いで法輪功を誹謗し、大法弟子を迫害する時に、私の心は非常につらくて、いい大法なのに師父が無実の罪を着せられて本当に信じられないほどでした。そして師父について最後まで行く、大法に恥をかかせないという一念が心に生じました。当日私は実家に帰り、稲の脱穀の手伝いをしました。父母がこの話を聞いて「やってはいけない、わからないのか、文革がまた来たのだよ」と言い、私は「なんの文革ならいざ知らず、師父はいい人であると信じ、世人を済度するために来られたのだ」と言いました。また、私は師父の経文『無存』を暗唱し彼らに聞かせました。「生きて求める所無く、死して留まることを惜しまず、妄念を消し尽くせば、佛を修するのも難しくはない」(『洪吟』)。

家に帰って『洪吟』の宝本を手に捧げ、思わず涙を流して号泣しました。私は師父のすべての宝本と師父の肖像を片付けました。翌日の朝、治安部門の周亜平が我が家に嫌がらせに来て、師父の肖像と大法の書籍を差し出せと要求しました。私はいささかの不安もなく、目もくれませんでした。彼は私のデスクの引き出しをむやみにひっくり返し、手で書いた一段落の『転法輪』(巻二)を、有無を言わさず奪い、帰って報告すると言いました。その間、会社や県の経済委員会、派出所、町の悪者が常に私を妨害し、嫌がらせに来ました。家の電話も止まることなく鳴りました。とりわけ派出所の悪徳警官・李小山は法を知りながら法を犯し、捜査証なしに部屋に入ってタンスや棚をひっくり返して探し、ほとんど毎日来ても、何ら得るところがありませんでした。1999年の末、会社は私が上級機関に陳情する事を恐れ、毎日なんらかの相談を持ちかけ、夫と離婚するよう要求し、それから私を解雇しました。私は心を動かさず彼らに「私は法輪功をやり、いい人間になり、さらにいい人間になり、何か過ちがありますか?」と言いました。彼らは私に問い詰められて、ぐうの音も出ませんでした。離婚のことは未解決のまま棚に上げました。

2000年6月18日、私は何人かの同修と一緒に北京へ法を実証しに行き、北京の天安門広場で横断幕を開き大声で「法輪大法は良い!」「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。邪党と悪徳警官が殺到して、私の横断幕を強奪し、天安門の派出所に拘留されました。午後5時ごろ門頭溝派出所へ不法に連行されました。悪徳な警官に「おまえの名前は何と言うか」と聞かれ、私は大声で「私は大法弟子です」と返事した。晩御飯の時に断食して抗議をし、彼も食べませんでした。夜に彼らはまた訊問に来ました。「私は家に帰ります。悪いことはやっていません。私は正しいことを言いに来ました。真善忍は良い! 私たちの師父は素晴らしい!」と伝えました。そこで15日間座ったまま、強制食物注入を3回され、邪党の悪人にどれだけびんたをさたれたか分かりません。毒注射も1回打たれました。最終的に彼らは私を屈服させる方法が見つからず、途方に暮れて私を家に帰しました。私は法を実証し、真相を伝える洪大な流れに戻りました。

2001年6月下旬、一人の同修が脅迫の下で私の名前を言いました。夜10時ごろ、県の610オフィスの親玉がたくさんの人を連れて私の家に来ました。私は玄関を開けず(当時ちょうど『転法輪』の第9講を読んでいた)、彼らが玄関を蹴り、家の電話を鳴らし続け、外で絶えず怒鳴っていました。私は心を動かさず、引き続き第9講を読み終えました。彼らはヒステリーを起こし、門を砕きエスカレートしました。私は恐怖心が生じ、門を開けると彼らは強盗のごとく私の家に突入し、たんすや棚をひっくり返して探しても、何も見つかりませんでした。私は『転法輪』をしっかり胸に抱え、息子も「お母さんはいい人だよ」と一言言いました。邪党の悪人は「おまえも一緒に連れていくぞ」と脅しました。彼らは愚かに息子を脅し、私は悪人に派出所へ連行されました。

派出所で、悪人の陳環珠が私を酷く殴り、私の頭を壁にぶつけ、びんたを30回食らわしました。気絶するほど殴られて失禁しました。その時師父の説法を思い出しました。「さもなくば、消極的に迫害に耐えるのではなく、絶えず正念をもって悪人を正視してほしい」(『大法弟子の正念は威力のあるものである』)。それで「止めて下さい」と一喝した。彼は何歩か退いて、私と腰掛を手錠でつなぎました。一晩寝られず、翌朝、朝食のビーフンを食べても吐いてしまいました。食べられないほど殴られて、2日間ご飯も水も摂りませんでした。彼らはまた私に「罪を認めるのか」と聞き、私は「罪はない、いい人間になることが罪のあることですか?」と言った。師父の見守りの下で、私は派出所から脱出し、また法を正す道に戻りました。

2003年10月2日の夜、私は同修と隣の県へ真相を伝えにチラシを配りに行った時、悪人に見つかって夜7時ごろまで尾行されました。田んぼのあぜ道で、尾行していた悪人が突然私の風呂敷を奪おうとしましたが、私はしっかり握って放しませんでした。風呂敷の中には真相資料とディスクがたくさん入っていましたから。そのまま長く対峙し、他の同修がチャンスを見つけて脱走しました。その時、私は師父の『理性』という説法を思い出しました。「つかまえられることは目的ではなく、大法を証明することこそが、本当に偉大なことであり、大法を証明するために表に出てきたのである。表に出て来た以上、法を証明することを達成しなければならない、それこそが表に出る本当の目的なのだ」私の心がパッと明るくなって、彼に真相を伝えました。法輪功は無実の罪を着せられ、天安門焼身自殺も法輪功に無実の罪を着せることで、法輪功は本当に世界に広まっていますと言うと、彼は聞かずに私を酷く殴り、地面に倒れるまで酷く殴りました。また、私を強く踏み潰しました。私は大声で「いい人間を迫害するな、いい人間を迫害するときっと報われる」と叫んだ。彼は「君は今晩死んでくれ、死んでも一つ皮を脱ぐだけだ」と言いました。

私はしっかりと風呂敷を抱え、田んぼのあぜ道で正念を発しながら、師父が弟子を加持する事を心で願っていました。悪人が私を引っ張っても無駄でした。携帯を取り出して、他の仲間を呼ぼうとしましたが、私は「あなたの携帯は使えない」と言うと、本当に彼の携帯は通じませんでした。彼が怒って下品な事を言い。私は威厳をもって「私は師父の弟子ですから、誰も私を動かせない」と言いました。彼は途方に暮れて、懐中電灯で合図をしました。私は行くよと言って、師父の見守りの下で脱出に成功しました。悪人は尾行を止めずに、ずっと後ろを追いかけてきましたが、その時私は少しも恐れないで、真相資料を各家に配って、安全に家に帰りました。

同修の皆さん、私たちは共に精進しましょう。法をよく学び、三つの事をしっかりやり、すべては法から切り開かれます。

2007年7月13日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/3/27/151642.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/4/16/84603.html