師父は私を助けて一番辛い日々を過ごしてくださった
(明慧日本)私は1998年11月に法を得た。1998年9月、10歳になる息子は長春のベチューン医学大学病院で白血病の末期と診断され、お医者さんは1カ月しか生きられず、たとえ100万元あっても彼の命は救えないといった。当時は本当に天が落ちてくるような気がして、一日中涙が止まらず、一日が一年のように長くて辛く感じた。毎日額を地につけて拝礼した。神様はなぜこうように私を試すのか? 善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある。私は自分では一番善良な人だと思っているのに、どうして不幸が私の身に落ちたのか? 良い人には良い報いがないのか? いろんな事を考えているうちに人生に対して自信を失い、最後には二つの道を選ぼうと思った。一つ目は息子が死んだら私もこの世を離れる、二つ目はこの恨みと憎しみで満ちた、一生でも解決できない仇と恨みのあるこの家を離れる、ということだった。
息子の病気は日々ひどくなっていった。友人は法輪功を修煉してから、いろんな病気が治ったから、あなたたちもやってみればどうか、もし縁があったら、子供の病気が治るかもしれない、と紹介してくれた。わたしは息子と娘をつれて、指導センターへ行き、『轉法輪』を一冊購入し、5式の動作も習った。その時は息子の病気のことばかり考えて、本を読む時も気を使わなかった。ある日、本を読もうとしたら、法輪図の法輪がまわっているのが見えた。私はこの法輪功は本物だと思い。息子の病気が重くて眠れない時、身を入れて法輪功のすべての書籍を読み、わたしはやっと夢から目が醒めてきた。まさに師父は私の心の中のいろんな解けない謎を解いてくださり、私の選んだ二つの道を徹底的に変えてくださった。私は返本帰真し、最後まで修煉し、師父の弟子になって、二度と輪廻の苦しみを味わわないと決心した。将来、どんなことがあっても、この最も複雑な環境の中で必ず円満成就するまで修煉しようと決めた。
ある日『転法輪』を読んでいると、一カ所の「生」という字が本のなかの別の字より何倍も大きかった。当時私は、師父がわたしに息子は生きる希望があり、正常な人のように生活できる、と悟らせてくださっていると思い、とてもうれしかった。数日後の1999年旧暦の1月17日の夜1時ごろ、息子がこの世を去った時、私はとても悲しみ、大きい声で泣いた。
「生」の字を思い出してみると、生き別れと死に別れの意味で、わたしによく生きていきなさいという意味だった。またもっと深い意味もあった。毎回息子の事を考えて苦しむ時、「生」の字を思い出すと、師父の慈悲なる済度に申し訳ないと思った。なぜなら師父は「人の本当の生命は元神なので、元神を生んでくれた母親こそあなたの本当の母親です。六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人間であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません」(『転法輪』)とおっしゃった。時々とても苦しい時、「忍」の字を思い出して、苦の中の苦に耐えて、常人の耐えられないことに耐えている。
とうもろこしの皮をむく時、息子の事を思い出して涙が止まらなかった。私は心の中から「師父! わたしみたいなこのように情を捨てきれない人も、あなたはまだ弟子だと認めますか?」と聞いた。一旦このように考えるとすぐ別の世界が広がってきて、悲しみや、苦しみや、涙が全部消えていった。それから別の人が息子のことを話しても、私はたぶん涙がなくなったせいか涙もなく、悲しみも苦しみもなかった。まさに師父がわたしを助けて一番苦しい日々を過ごしてくださり、私を地獄からひきあげて、私を助けて生死の大きな関を乗り越えさせてくださった。すべてのすべては、みな師父がわたしのために受け止めてくださった。心から師父に感謝します。
小さい時から私は身体が弱くて薬ばかり飲んでいた。年寄りの人は私に会うと、あなたがここまで生きられるとは思わなかったと言う。修煉して以来、たまたま体調が良くないときもあるが、一日か二日くらいでなくなり、本当に身体は病気がないとても軽い状態になった。
師父は「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの原因が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか?」(『転法輪』)とおっしゃった。
私は舅と姑との因縁関係により、仲が良くなかった。内に向かって探すと、自分では自分が良い人だと思っていたが、「真、善、忍」に比べるとまだまだ足りなかった。そしてわたしは人を憎まない、恩を望まない、大法に恥をかかせない弟子になるように努力し、舅と姑との10数年の憎しみ合う因縁関係を改善した。彼らと仲良くなった後、夫のおばさんは「あなたの姑さんの心が石でできたとしても、あなたに感動するよ」と言ってくれた。家庭が睦まじくなり、体も元気になり、心も穏やかになった。本当に師父の慈悲なる加護に感謝します。これからは師父の要求を満たす大法弟子になって、師父についで円満成就します。合十。
2007年7月17日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/3/9/150416.html)
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