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6年間の拘禁後 吉林省東豊県教師・魏鳳挙さんは迫害により死亡(写真)

(明慧日本)吉林省東豊県第四中学校教師の法輪功学習者・魏鳳挙さんは3回目に不法に労働教養され、あわせて6年近く労教所に拘禁され迫害された。迫害により体が痩せて弱々しくなり、仕事能力も失った。2007年4月13日に釈放されたが、3カ月たっても体調が回復せず、やせて皮と骨ばかりになり、自立の生活もできなかった。2007年7月12日午後4時15分に冤罪が晴れないままこの世を去った。享年僅か47歳であった。 

若いときの魏鳳挙さん

 不法に労働教養され、迫害された間に魏鳳挙さんは各種の拷問を加えられ、数本の電気棒で電撃され、口が電撃で変形した。邪悪の環境の下で、合わせて6年近く迫害され、体調が極めて弱くなった。最後に労働教養された2007年お正月の前後、ある日彼女は二つの魔法瓶を持ち、恐らく体調が虚弱であったため、地上に座りこんでしまった。それから腹部のところが痛くなり、ご飯を食べられずに、検査したいと言ったが、労教所の先生がいなくて、そのまま放置された。家に戻っても体が痩せて弱々しく、ご飯も食べられず、だんだん酷くなった。尿も赤い色だった。

2007年7月11日魏鳳挙さんが死亡した前日とった写真
2007年7月11日魏鳳挙さんが死亡した前日とった写真

 魏鳳挙さんは吉林省東豊県第四中学校の教師であり,1998年前に法と出会って、修煉を通じて各種の病気が全快した。1999年7月22日に江氏集団は法輪功を弾圧し始めたが,魏鳳挙さんは修煉を堅持し、その後北京へ陳情に行った。1999年12月30日に不法に逮捕され、2000年1月1日夜に吉林省東豊県政保科(現在国保大隊)の悪辣な警察官・陳双有に電車で連れられて地元に戻り、不法に労働教養1年を言い渡され長春黒嘴子労教所一大隊に移送され迫害を受けた。

 黒嘴子労教所一大隊で法輪功学習者は毎日17−20時間働かされ、毎日1−2時間しか眠らされず、一日中眠れない日もあった。悪辣な警察官は売春した人、麻薬常用者、ならず者を指図し毎日交替で法輪功学習者を監視した。法輪功学習者はお互いに話せず、冬のときに氷がある水で入浴した。ある日に一大隊すべての隊長、管教、管理科の写真を撮る責任者・楊、連科長などは強制に一大隊の法輪功学習者を一列に立たせ、電気棒で一人ひとりの学習者を電撃し、魏鳳挙さんの心臓のところを電撃した。

 魏鳳挙さんは2カ月間の刑期を加えられ、2001年3月に釈放された。仕事に復帰できず、給料も奪われた。家族離散し、何も財産もなく、住むところもなかった。子供は15歳で世話する人もいなかった。

 2005年正月の15日に魏鳳挙さんは法輪功の真相を伝えたため再び連行され、不法に労働教養3年を言い渡され、長春黒嘴子労教所に拘禁され、数カ月後に釈放された。仕事と給料を求めに行ったが拒否された。東豊県610政法委、教育局、学校はお互いに人のせいにし、最後に人を陥れる計略を設けまだ修練しているかを審問した。彼女は修煉していると答えた。その後サインさせられた。サインした後にいわゆる証拠があって、毎日彼女を尾行し、20日間後、2005年10月に彼女を連行した。長春黒嘴子労教所に移送し1年半の労働教養ののち2007年4月13日に釈放した。

 魏鳳挙さんは釈放されてから体調が回復できず、お金もないし、自立の生活ができずに、痩せて皮と骨ばかりであった。70歳近い父親が面倒を見た。娘がこんな風にまで迫害されたと打撃を受け、歩くとよろよろした。釈放され3カ月後冤罪が晴れないままこの世を去った。

 不法に労働教養された間に魏鳳挙さんの母親(寝たきりになって7、8年間)は死亡した。彼女はその間に釈放されず、家族との面会にも許されなかった。彼らはまったく人間性がなく、道義上に許されない。

 以下の電話番号は省略し、詳細は中文の明慧をご参照ください。

 2007年7月20日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/7/17/159065.html
(英語: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/7/20/87850.html