精進し着実に修煉する中で自責心を取り除く
文/大陸大法弟子 法珍
(明慧日本)私は97年に法を得た大法弟子です。旧勢力の妨害と破壊、そして自分の修煉の中に漏れがあることによって、4年ほどの長い間邪悪に迫害されました。出てきてから同修たちが師にしっかりついていき、世の人を救い、精進し実修している姿を見て、一度に自己を痛感し、自責心により自ら抜け出すことができませんでした。このようなよくない状態が長い間続いており、私の向上に対して大きな障害を与えました。
私はこれを認識し、突破しようと思いました。それで私はよく法を学び、心が静まってから法を学び、師父のすべての説法を繰り返し繰り返し通読しながら、すばやく向上できました。法を正す進展に追いつき、かつ師尊のおっしゃる「三つの事」の中に入っていき、家で資料点を構築し、自分で作り、自分で配ります。
但し三つの事をやっている過程で、私は自分の自責の念をきれいに取り除いてないため、いつも自分がよりたくさんの事をやり、引き離された時間を補いたいと思い、いつも一種の焦る心理を現していました。三つの事をやるにせよ、心性上のことにせよいつもうまく把握できません。その後また後悔し、自己を悔やんで苦悩していました。時間が長く経つと際立ってきます。
この自責心が長い間私を妨害し、何故自分はいつも突破できないのか?と思っていました。私のやった事は大法の基準と比べると一人の修煉者として相変わらず及びません。この次元を突破しようと思うなら、最終的な方法は自己をよく修め、心性の関を越え、三つの事をやり、しっかり煉功しなければならない。大きい事も小さい事もみんなうまくやり、修煉者の基準に達したら徹底的に執着心が取り除かれるに違いない。当然この自責心もまったく私をさえぎることができない。それで私は自己を良く修めることに注意し、すべての事に対してたやすく油断しない。
煉功のことを言えば、全国集団煉功になってから、私は知らされた時間通りに煉功し、エネルギーが強く感じ効果がとても良かった。数日間煉功してから、私は結跏趺坐(静功)の時間を延長したいと思ったので、毎朝三時半から動功、四時半から静功、六時に正念を発します。30分延長した結跏趺坐の中で、苦痛で業力を消し、自分の取り除き難い執着心が消されました。足が痛くて耐えられない時、自分が足を緩めてはいけないと思い「思い忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる」『転法輪』、師と法が有ればきっと行けます。まして何日もの間持ちこたえているので、私はきっと漏れ無きまで修め、足が痛くても時間になるまで緩めません。
今まで、私は結跏趺坐の時間を減らす事なく、心の調和がとれて快調です。自分の修煉の各方面に要求を高める一方、私の執着心の後悔する心、自責心を含めてだんだん修めて消していきました。絶えなき精進の過程で、再び後悔することなく、自然に自責心がなくなりました。
今後着実に修煉する中で、私は自己に厳しく要求し、問題や一つの事情に遭遇しても、まず先に師父がこのように段取りしたかどうか、法を正すのにこうする必要があるかどうか、これは新宇宙に成就すべきか、未来のために残ったかどうか、この道は正しいかどうかなどを考えるべきです。法の出発点に立ち、毎回のチャンスを放棄せず、毎日、毎時も放棄しない。一念一思も最後の限りある時間内に、きっと自己よく修めなければならない。
その他に私と同じように迫害された大法弟子に一言「自責心を取り除き、いつもくよくよしないで、元気を出して、心が静まってから法を学び、法を正す過程に追いつき、同じ名に恥じない大法弟子となり、師父が私たちを待っていますよ。」
私は文化水準が高くありません。ただ心の中で思っていることを書き出して皆さんと交流したいだけです。もし妥当でないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。
2007年7月27日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/5/30/155878.html)
|