旧勢力が按配した迫害の形式を見破る
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)旧勢力が按配した巨難の中、旧勢力は大法と大法弟子を試すため、また試すと同時に法を正す事を左右し、私的な目的を達するためです。すべての大法弟子に複雑で長期的な按配をし、一方あれらは大法弟子の生命の過程、或いはこの世で成長する中にたくさんの要素を按配し(例えば境遇)、それによって某観念を促成し、強化しました。師父は「あなたが考えている事までただで済む事ではありません。将来これらを見れば、全ては相当綿密に按配されていると分かります。わたしが按配したのではなく、それらの旧勢力が按配したのです。」『米国フロリダでの説法』とおっしゃいました。他の方面から見れば、この巨難の中、あれらはまた大法弟子に某環境を按配し、この内外按配の結合によって、大法弟子は思わずいわゆる試練の中で旧勢力に左右され、思わず受動的な某状態に陥り、自ら抜け出すことができません。
一人の同衆は小学校に通う前、近所の子供にままごとに誘われ良くない行動をし、さらに幼い彼に性的興奮を覚えさせた(当時彼はそれがなんであるかを知りませんでした)。このように異なった段階にも按配し、強化かつ誘惑し色欲執着の要素に埋もれました。そしてこの数年の修煉の中で色欲は巨大な妨害となり、とりわけ旧勢力に按配された某境遇に繰り返し繰り返し引っ張られ、心身状態にも大きな影響を与えた。(これはただ旧勢力の按配から見たものです。)
今見ればこのすべては迫害でした。私たち多くの同衆は逮捕、殴打および刑罰は迫害であると認識し、さらに大局的な見地から見れば住む場所を無くし、経済的困難になるのも迫害であると認識しました。実際は法を正すことに反する一切の事と、大法弟子が師父の法を正す事を手伝う按配すべてを系統的に妨害する事はみな迫害なのです。
法を正す中で、私たちは単に個人修煉の基準で自分の状態を判断するわけにはいきません。単純に個人の執着の角度から自分の問題や障害の解決を考えながら、旧勢力の按配した迫害を否定し、さらに徹底的に排除する事を明確にして師父が要求した全てを成就し、個人の修煉を含めて執着を取り除く。
しかし、この種の旧勢力の迫害は様々な形で現れ、多くの局面を持っています。上で挙げた形式を除き、仕事がとても忙しくなり疲れて時間と気力がなくなる。或るものは家庭の障害が大きく、束縛され、或るものは恐怖に怯え、或るものは執着を下さず偏って悟り、長期的に自己を誤る。或るものは口実を作って自己を遮り真に修めない。或るものは親情に執着して掴んで離さない。或るものは色欲に困り、或るものは病業に、或るものは趣味に走り、或るものは「先に法を良く学んで調整してから表へ出る」とか、結局瞬く間に何ヶ月、更に長い時間を水の泡にしてしまった。
これらを言い出せば、同衆もこの迫害を認識する事ができます。しかしながら、一部の同衆は思い通りにいくし、今の生活に満足しており、捕まる事もないし、三つの事を少しばかりやって満足してしまった。意識的か無意識か法を正す事から離れ、大法弟子の切磋や交流から離れ、共同作業の環境もどんどんまとまりがなくなって、無頓着になってしまった。
心を静めて探してみれば、実際はすべて安逸の心(何もせず、ぶらぶら遊んでいること)に利用され緊迫感がまるでない。しかも「常人の状態に符号する」ことはしっかりと覚えている。師父は『人心を取り除く』で「最も際立っているのは多くの学習者が彼らの強い人間の考えと、正念が足りないことによってひどく迫害されていることです。」とおっしゃいました。ある同衆は別の極端に走り、捕まえられたのは全て問題があるからで、逆に捕まえられず迫害されなかったのは比較的良くできたからで、特に問題はないと認識している。
このような認識は大法弟子の思想の中でだんだん形成され、どんどん安逸を求めることに引っ張られ自分が悪くないと思い、少しの事をやってすぐ満足し、自分の安逸を満たした状態を助長し意識しなかった。これらの同衆はまた生活が裕福で、のびのびして、甚だしきに至ってはとてもゆったりしていて、或るものは常人と一点ばかりの区別で法を学び、たまに真相を伝え、心をこめて法を正さず、もうすでに大法から離れ、衆生を救うために心配せず、歴史の重任を背負う心境から離れる。
そしてこれらの同衆は一心に法を正し、衆生を救っている同衆を見ると、いろいろと欠点を見つけ、でしゃばって干渉する心を放さない。これをもって同衆が行った法を正すことを否定し、正しい一面から善意を持って判断せず、助け合って修正せず、圓容しなくなります。実に全体に対してプラスよりマイナスの影響が大きかった。
またある同衆は内心「自分が三つの事をやっているから」と考えて満足しているかもしれません。しかしこれは常人の心で考えているだけで、私たちがやって来たときの洪大な誓いと、歴史の中で乗り切った試煉と苦難を満たす事ができません。
旧勢力が目的を達するため、また同時に全ての大法弟子の異なった問題や執着を的にして異なった按配をした。常人の安逸状態に引っ張られた同衆たちはよく考えてください。あなたは旧勢力の迫害の形式の中にいるのか否か。人の一面で満足して自分の本願を見失い、あなたの現実とあなたの使命は徐々に減少しています。あなたが帰るとき、美酒に酔わせられて覚めた時、でたらめに暇を潰したかのようになるのでしょうか。かつて自分がやった少しの事と真正の大法弟子が完了した任務は比較する事ができないと分かるでしょう。その時になると旧勢力の按配にしたがって歩み、師父の按配ではなかったとはっきりと分かるでしょう。その時になるとかつての満足と安逸は旧勢力の按配による深い迫害と巨大な難であったと分かるはずです。
師父は「今回の迫害の中で、実は最も害されているのは世の人々です。」『大ニューヨーク法会での説法と法の解説』とおっしゃいました。表面的に彼らは良い生活を送っていますが、毒害や迷いの真只中に最も尊い生命の根本を失っていきます。これは障害によって自分が法を正す中での位置を見失い、真正の作用を発揮しなくなり、大法弟子の使命を成し遂げないのと同じではないでしょうか?実情は厳しく迫害され、実質的な迫害です。
ある同衆は常人に制限され、妨げられ、彼らは自分たちの概念を手放す事ができません。いつも「常人の状態に符号する」「どこでも良い人になる」「成り行きに任せて、強いてはだめ」「他人を考慮し、少し圓容しておく」などの言い訳で自分をなぐさめる。甚だしきに至っては他の人を説得するとき、表面はすべて師父の話を説いていますが、しかしそれらは全て口実です。私たちは真にどれほど身を入れるかを見、法のために責任を負い、衆生済度と法を正す事を第一位に位置付ける事ができますか?私たちが心の中で明確にすべき事は「常人の状態に符号し、良い人間になる」ために来たのではなく、「師が法を正す事を助ける」ために来たのです。但し私たちは常人の状態に合わせて行い、更に順調になる。この根本的な関係は明確にしなければならない。しっかり置かなければならない。
古い力が私たちに按配した一念一思を、私たちが執着を手放せないために、見破り、否定しないならば、古い力によって取りまとめられた環境の下で、必然的にある状態になり、或いは用心不足、或いは精進しなくなり、或いは執着に困らせ、或いは安逸と満足に迷わせるのだ。ある同衆は逆境に阻まれ、或るものは何度も同じ境地で迷うのです。要するに人から抜け出せなければ自分の責任や使命を成し遂げる事はできません。
ある夫婦の大法弟子はかつて魔難の中からしっかり歩んできていました。邪悪な労働教養所にいてもしっかりしていました。その後彼らは事業を興し、効果と利益はますます上がり、結果的に現地の十大企業の一つになり、銀行も争って彼らに資金を投入し、理屈から言えばこれはとても良いことです。しかし、同時に別の状況も起こり、その会社に勤めた同衆はみな異なった制約を受け、精進の状態になれなくなり、甚だしきに至っては酒を飲み、常人化しました。法を正す事もそれ相応に淡白になりました。その夫婦の一人はますます常人の生活を追及し、会社を掌握し、以外にも愛人ができ離婚を要求する程でした。
私たちは注意深く振り返って見れば、これは迫害ではなかろうか。異なった人の隙に乗じて迫害し、だんだんと大法弟子に見失わせ、自分の使命さえ忘れさせる。会社を興すこと自体は問題ないが、その中で私たちは必ずはっきりしていて、旧勢力がその中に隠した迫害の按配を見抜き、否定しなければなりません。
ある女性の同衆は常人の夫がとても思いやりがあり、さらに表面上でも彼女の修煉を支持していましたが、数年来ずっと彼女を見張り、足を引っ張っています。彼女は参加した法を正す事や真相伝えなどの範囲が小さい枠に限られており、時間が長く経つと彼女も慣れてきます。彼女は夫の愛と理解を感じ、時には支持を与えられ、いつもこの障害を見分けられません。調和の取れた温かい家庭の表面部分を壊したくありません。実質はこの制約的な迫害を受け入れました。
以上は同衆自身の角度から言ったもので、またさらに重要な一面があり、旧勢力は同衆個人に按配した迫害を使い、それによって周囲の同衆と環境に影響を与え、これは法を正す事を左右し、妨害したのではないか。そうであればこの一面から見たとき私たちはうまくやらなければ、旧勢力の按配に従ってしまいます。個人の問題だけでなく、全体の状態に妨害されてしまします。それは旧勢力が法を正す形勢に抑制、左右することを成就させてしまいます。ですから、法の中からしっかり自分と同衆の状態を扱い、旧勢力による私たちに対する内心の観念と外在のきめ細かい按配と迫害要素を見抜かなければなりません。これは徹底的に旧勢力の迫害を否定するのに大変重要です。
以上は個人の体得で、不足のところを同衆に提出し、共に切磋する事を望みます。
2007年8月4日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/6/16/156988.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/7/1/87241.html)
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