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力をあわせて、強大な正念を持ってこの迫害を徹底的に終わらせよう


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)大法弟子と衆生への邪悪の迫害はもう8年も続いてきました。如何にしてこの邪悪な迫害をなるべく早く終わらせるかということについては、最近の明慧週刊(288号と289号)にこれに関する文章が載っています。今この問題について交流している学習者も少なくありません。しかし、交流を通じて、直ちに迫害を終わらせることの重大性を十分に重視していない学習者がまだまだたくさんいるということに気づきました。

 例えば、無関心で自分とあまり関係がないとか、よく修めた学習者が自分の認識を述べているに過ぎないと思うとか、こんなに多くの大法弟子がまだいろんな執着や恐怖心を取り除いておらず、大法弟子のすべてが標準(学習者自分自身の設定した標準)に達すれば、迫害も自然に止む、今はどうしようもないと思うとか、そこに到達するにはまだずいぶん時間がかかると思うとか、法理上の困惑があり、師父は平和時期が表れないとおっしゃったので、迫害を終わらせるというのはただの言い方で、精進させるように私たちを励ます原動力に過ぎないと思うとか、様々に取りざたしています。

 師父の一番新しい説法『米国首都での説法』を繰り返し学び、明慧週刊288号に載せられた文章「迫害を直ちに終わらせよ」をもう一回読んで(皆さんにもよく読んでほしい)、この問題に対してさらに多くの認識を持つようになりました。

 大法弟子全体がこの件に対して自分も責任があるという認識が早く昇華するほど、大法を迫害する邪悪への清掃も早くなり、迫害を終わらせるのも別に遠くてとても及ばないことではなくなります。大法弟子がなるべく早く迫害を終わらせようとする目的は、別に迫害に我慢できず、早く自分を解脱させるためではなく、衆生を慈しみ、彼らの生命を大事にして、徹底的に旧勢力を否定し、彼らを最大限に救い済度し、解脱させるためです。これは師父によって与えられた使命と責務であり、大法が法を正す時期の大法弟子への要求で、師父が与えてくださる偉大な威徳と栄光を樹立するチャンスでもあります。

 師父は『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』の中にこうおっしゃいました。「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」。このお話からこういう意味合いを悟りました。つまり、大法弟子の動揺する人心はマイナスなものを促進する一方、大法弟子の衆生に対する純正で確固たる一念は必ずいい結果を促進するのです。迫害を終わらせることは難しくないし、複雑でもなく、それはなるべく早く迫害を終わらせれば、もっと多くの衆生を救い済度することができる——正にこの一念にあります。このことについて自分の認識を述べさせていただき、皆さんと交流し、お互いの精進に少しでもお役に立てばと思いますが、不足なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父の『米国首都での説法』を学んで、心の底から今世の中にいる人々の貴重さ、この肉身の裏にこんなにも奥深い内涵があり、数え切れない衆生に関係していることが分かりました。当初、そんなにたくさんの異なる次元の高次元生命が大法と法を正す確固たる信念を持ち、危険に曝されながら、険悪極まる世間に来ることは、何でも分かる高次元から見れば、生死を放下しなければできないことではありませんか? これが偉いと言えるのではありませんか? どんなに衆神が涙を流さんばかりに感動する行為でしょうか? これらの生命は本当に貴いのです。この点だけをもってしても、師父は彼らのすべてを救い済度しようとしておられると私は思います。

 古い宇宙のすべての邪悪の象徴である旧勢力は、壊滅される過程で、恰も自分が宇宙の主宰者のように、ほかの衆生の安否をぜんぜん考えもせず、自己を救うため、ほかの多くの生命を滅ぼすことを代償にするという邪悪な按排をしました。世間に現れたのがこの邪悪な迫害です。世の中に来ている生命をよい作用と悪い作用を果たす二つの部分に分けて、彼らの蔑む生命を淘汰しようとしました。

 しかし、これは師父の本願ではありません、師父はこの迫害をちっとも認めておられません。師父はすべての衆生を救い済度できるように(旧勢力をも含めて)、すべてを均衡し、よくない思想と行動が現れた場合には、大法に照らして、それらをよくないと認識して取り除くように、すべての衆生にたっぷりチャンスを与えておられます。こういう行為の現われは正に生命の規正ではありませんか? 大法に同化することではありませんか? これは私たちの世間での修煉とどんなに似ていることでしょう。しかし、旧勢力は大法への同化を拒んで、自己淘汰を選び、数え切れない衆生を滅ぼすという果てしのない罪を犯し、それによって、すべてのチャンスをすっかり失ってしまったのです。

 師父は『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「特に最近、神々は旧勢力を全面的に捕殺しており、見つけたらすぐ地獄に落としますが、見つからなくてもあちこちでそれらを探しており、徹底的に根絶しています。(拍手)旧勢力が按排したいくらかの要素も含めて、全部消滅されています」。

 大法弟子を成就させ、衆生を救い済度することのできるものは、大法以外にはほかにありません。決して旧勢力の按排したこの魔難ではありません。今度の迫害がなくても、師父は私たちを成就させることができるのです。今度の迫害は別に大法弟子の歩まなければならない過程ではありません。いま旧勢力でさえもすっかり取り除かれるという定めを免れないのに、それらの按排したもの——大法へ無理に押し付けた迫害に対して、私たちは少しでも認めたり、見ても見ない振りをしたり、当たり前に思ったりしていいのでしょうか?

 旧勢力の按排した魔難の中で修めるなら、いくら一生懸命修めても、程度が違いますが、罪悪を認めることになり、自分のことをこれらの必ず淘汰される汚い生命よりも下に位置づけてしまうことになると思います。しかし、法を正す時期の大法弟子—-将来の新しい宇宙の違う次元での主宰者が旧勢力の按排した試練に身を任せ、師父によって段取りしていただいた本当の修煉の道を破壊していいのでしょうか? 世間での邪悪の猖獗とした表れ、ほかの学習者が捕まり、苦しめられ、殺される表現、旧勢力は死に掛けても、内涵のとても大きい世の人々を毒害し、自分の副葬品にしようとするのを、手を拱いて見ていいのでしょうか?

 邪悪が大法弟子を迫害してしまったのは、もちろん大法弟子の人心、執着の漏れの隙に乗じたのです。しかし、旧勢力が大法弟子を迫害するすべての堂々としているかのようにみえる理由や口実は他ならぬ、大法への迫害、法を正すことへの邪魔、大法弟子と衆生を滅ばそうとする邪悪な目的であるということをはっきりと分かってもらいたいのです。実践を通して、私たちはよくわかったと思いますが、多くの大法弟子が旧勢力に隙に乗じられること自体も、実は旧勢力がずいぶん昔から按排し、無理矢理に押し付けたものです。学習者はただ否定できず、抜け出すことができないだけなのです。ですから、私たちが旧勢力の立場に立って、ひたすら学習者の不足を指摘するのはだめなのです。旧勢力のすべてを根本から否定すべきです。旧勢力およびそれによって作られたすべての邪悪を無条件で徹底的に解体すべきです。

 大法弟子は同じ次元に円満成就するわけではなく、大法弟子の歩んだ道は未来のために開かれたもので、将来に残す参照でもあると私は思います。大法弟子の歩んだ道、見舞われた魔難はみなそれぞれ違うもので、私たちの見た学習者の執着や人心はちょうどその学習者が取り除くはずの部分です。それに対し、よく修めた部分は私たちの肉眼では見られないのです。

 それはわが門の修煉方式によって定められたものです。違う次元ではそれなりの謎があり、本当の真相が見えません。しかし、師父は何もかもはっきりと知っておられ、私たちに真相を教えておられます。私たちは師父を固く信じるべきです。私たちの考えはもう個人修煉の枠を抜け出すべきで、個人修煉のことを疎かにしない一方で、どうやって最大限に衆生を救い済度することができるかをさらに考えるべきです。基点を正しく据えて、初めて、私たちの思想や行動が法を正す過程に追いつき、師父のご念願を圓容することができるのです。

 では、どうやってさらに多くの衆生を救い済度することができるのでしょうか? できるだけ早くこの迫害を終わらせれば、影響がさらに大きく、救い済度する人もさらに多いということになるのではありませんか?

 また、自分をよく修め、一生懸命頑張り、或いは、地元のことをよくやり遂げれば、迫害は自分の所、或いは自分の地区で消えてしまう。どの地区もそうであれば、すべての迫害はこれによって、自然に終わると思っている学習者がいますが、この言い方は正しそうに見えます。しかし、各地域の状況はさまざまで、随分格差があったり、大法弟子がとても少なく、さらに一人もいない地区があったりして、他の地区の大法弟子がいくら頑張っても、まだ救われていない衆生がいっぱいいるというのがいまの現状です。また、迫害が続く以上、世の人々は繰り返し邪党に毒害されるという問題もあり、邪党の支配下にある中国大陸では、道徳は速やかに衰退し、このように長引くと、救おうとしても、救うに値しないという問題もあるのです。

 法を実証することをわりとよくやっている地区について、ひとつ考えて見ましょう。そこの大法弟子はよくやっていて、地元での邪悪はもう働かず、迫害の状況はもうひどくなくなり、環境が緩んできました。しかし、それは決して地元の迫害はもう存在していないということを意味するのではありません。中国大陸の迫害が続く限り、地区を問わず、みな邪党系統の上から下まで貫く毒害を受けているのです。邪悪は毒薬そのもののように、その本質は人を害するもので、他の地区の邪悪をまだ大量に取り除かない限り、いつでもこの地区に押し寄せてくるのです。大法弟子は修煉する人ですが、人心があれば、邪悪に隙に乗じられる可能性があります。

 何年か前、よくやった地区は、他所からお手本にされたせいで、顕示心や歓喜心が引き起こされ、逆上してしまい、邪悪に隙に乗じられ、またひどく迫害されたことがあるではありませんか? 天目の開いた学習者は迫害が始まる前に、他所の邪悪がどっと押し寄せてくるのを見たのです。大法弟子は個体としても、同じような現象があります。

 邪悪がいくら暴れても、もう大法弟子の精進する歩みとますますの成熟を阻むことができなくなりますが、衆生を救い済度することに巨大な支障がこれによって設けられました。

 大法弟子はどうやってこんな強い正念を持つことができるのでしょうか?こんな正念は大法弟子が何でも衆生のためにという考えから来るのであって、自分や地元がいかによくやるかということに満足するのではなくて、地域の制限がなく、自分を大陸全体、ひいては世界中の大法弟子の中の一員として考え、この迫害を一刻も続けさせるわけにはいかないと、力を合わせて強い正念を発すれば、必ずこの恥をかかせるような迫害を終わらせることができます。

 もし皆さんのそれぞれの考えの食い違いがあまりにも大きすぎれば、例えば、この迫害は自分の向上にはまだいいことだとか、迫害を終わらせることに自信がなく、まだずいぶん時間がかかるとか、迫害が終わるのをただ消極的に待つとか、無関心で自分と関係がなく、手を拱いて傍観するとか……こういう考えは私たちの正念を相殺することになり、邪悪をいろいろな不正な観念のため取り除くことができず、迫害が続く理由をつくり、師父と師父を手伝って法を正す正神も邪悪を解体できなくなるのです。だから、観念を変えるのはとても重要なことです。

 大道は簡易を極めると言われていますが、私たちは自我と執着を放下し、認識が法の照準に合致すれば、師父と正神は何でもやってくださるのです。衆生のため、自我を放下し、法を正す邪悪を解体し、存在すべきでないこの迫害を直ちに終わらせるように、力を合わせて強大な正念を発しましょう!

 2007年8月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/3/160058.html