石家庄の法輪功学習者・李秀敏さんの生命が危険 緊急救援を求める
(明慧日本)李秀敏さんは不法に石家庄市第二留置場に拘禁され、長時間邪悪に迫害されたため、現在、低血圧の症状が出て、生命が危険なため、緊急救援を求める。
中共集団が法輪功を迫害した八年間、李秀敏さんは合計四年以上不法に労働教養された。その間拷問で迫害されるだけでなく、家族も巨大な精神的圧力を受けた。李秀敏さんの両親はいずれも70才近くの老人であり、さらに未成年の息子さんもいるが、彼らはずっと李秀敏さんの冤罪を晴らしに陳情に行き続けている。
李秀敏(48歳)は河北科学技術大学の職員であった。95年10月から法輪功を修煉して、心身共に良いものがもたらされた。 99年7月20日以後、李秀敏さんは北京へ陳情したことで不法に逮捕された。石家庄友誼大街派出所の悪辣な警察は彼女を小さくて汚い留置場に拘禁し、彼女に7日間ずっと手錠で椅子に繋ぎとめたため、彼女の両足は凍傷を患った。99年11月、彼女の勤務先が給与の支払いを停止した。2000年2月4日の夜、李秀敏さんは河北劇場の集団煉功に参加し、故郷の人々に「法輪大法は素晴らしい」と伝えたことで誘拐され、家財も不法に没収された。
2000年3月13日、橋西公安局は不法に李秀敏さんを三年間労働教養させ、不法に石家庄労働教養所四大隊に拘禁した。そこで李さんは残酷な迫害を受けた。
1.長時間の奴隷労働と顔を壁につけて立たせる罰
法輪功学習者は毎日強制的に17-20時間労働かせられる。もし反抗すると、毎日顔を壁につけて17-20時間立たされた。李さんは40数日間立たされ、両足は深刻に腫れあがり、足は以前より大きくなった。
2.ひもで縛り、ゴム棒で殴られる
2000年4月4日、李さんと20数名の同修は一緒に経文を暗誦した。悪警察らは気が狂ったように李さんたちを殴った。李さんは中隊のオフィスに連行され、顔を殴られた。悪辣な警察たちは入れ替わり立ち代り彼女の顔を殴り続けた。その上彼らは李さんを縄で縛り、とても残酷な拷問を行った。彼らは無理やり李さんを床にひざまずかせ、ゴム棒で彼女の臀部をひどく殴ったり、また髪の毛を引っ張りあげてから板で彼女の顔を殴った。李さんの顔は黒紫になり、破裂せんばかりに腫れ上がった。
3.野蛮に流動物を注入
残酷な迫害に抗議するため、2000年4月末、彼女たちは労働教養所の囚人服を脱ぎ、断食で抗議し、無条件で釈放することを求めた。断食の間、すべての学習者は何回も強制的に流動物を注入された。悪人はプラスチック製またはゴム製の管を鼻から差し込み、口腔、食道を経て胃の中まで通した後、流動物を管の中に注ぎこんだ。管を挿すときに痛みや吐き気、さらには窒息など、言い尽くせない苦しみを受けさせられる。このような灌食で李さんは胃から出血した。
李さんは修煉を放棄しなかったことで、もっと残酷な迫害を受けさせられた。片手と片足を手錠で繋がれ、寝返りも、座ることもできず、夜にトイレも行けなくなった。この迫害は半年間続いた。
2003年4月5日、李さんは釈放された。身体は傷だらけで、一銭もなくなったので、しかたなく実家に泊まった。03年11月14日、10数名の警察が野蛮に李さんの実家に侵入し、彼女を強制連行し、不法に家財を没収した。翌日、李さんは拘禁されていた派出所から正念を以って脱出し、その後、路頭に迷った。
2004年7月、李さんは子供に会おうとしたが、結局悪辣な警察に追跡され、不法に誘拐され、不法に第二留置場に拘禁された。04年10月11日、彼女はまた不法に二年間労働教養され、2006年3月にようやく釈放された。
2007年5月23日、李さんは新華区上城派出所に逮捕され、第二留置場に拘禁され、さらに新華区裁判所に転送され、少年審判庁で起訴された。李さんは拘禁されている間、乳腺増殖、子宮筋腫(約3センチ)を患った。第二留置場は李さんの両親に、李さんが網膜炎という深刻な目の病気を患い、顔面神経麻痺も再発しているので、家族から保証人を立て、審問を待つようにと言った。留置場は最後まで李さんと両親との面会を禁止した。家族は弁護士に李さんの冤罪の弁護を求めた。弁護士も正義感から同意したが、司法局はその弁護士の弁護を許さなかった。
2007年8月9日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/8/160426.html)
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