日本明慧
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心を静めて学法し体得しよう


 文/大連の大法弟子

(明慧日本)今日は土曜日です。朝、煉功と正念が終わってから、私は坐って法を学び始めました。『転法輪』を開けて「煉功するその人が功を得る」という節を1字1字ゆっくりと読みました。「呂洞賓は、たとえ動物を済度しても人間は済度しない、と言ったことがあります」を読む時、涙が急に湧いてきました。師父が今日法を伝え、人を済度することは何と苦難に満ちていることであるかを体得しました。師父は本当に私達衆生のために心血を尽くされました。

 私は人生の長い流れの中で、流浪しています……この中で更にとても大きな業力を作りましたが、この末法の時期に幸運にも師父の済度に出会って、はじめてこの永久に貴重な宇宙の大法を得て、真に返本帰真の道を見つけました。私にとってなんと光栄で、なんと福のあることでしょう!

 10年間の修煉の道を振りかえって見ると、自分は大法に対して、またどのくらい理解しのでしょうか? 人のものをまたどのぐらいのものを放下したのでしょうか? 精進したのでしょうか? 自分の過ちを責めて、うしろめたい中で恩師に申し訳ないと感じました。涙がひっきりなしに続いて流れました。師父の法の伝えと済度がなければ、私の今日の存在はどこにあるでしょうか! 私はどんな理由があって、師父の話を聞かないのでしょうか? 私はどんな理由があって、人心を抱いて放さないのでしょうか? 私はこのままでは、本当に動物にさえ及ばないのではありませんか? どのように私に対して無限の望みを託す衆生に申し訳が立つのでしょうか? 私は重大な使命を負ったまま、更に人間の中で引き続き落ちていってもよいのでしょうか? どうして早く法を正すプロセスに着いていかないのでしょうか?

 2007年8月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/8/160431.html