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「直ちに迫害を終わらせる」ことをどう理解すればよいか


 文/一言(海外)

(明慧日本)この前、アメリカの学習者の文章「迫害を直ちに終わらせよう」が明慧ネットに発表されてから、たくさんの学習者(特に中国大陸の学習者)は感慨深く、今まで意識しなかったことを認識するようになりました。しかし、ほかには正念を持って、大法を実証することさえすれば、邪悪はあえて迫害する度胸がなくなる。だから、迫害の存在を考えなくてもよい、迫害の存在を考えれば、迫害を認めることになると思っている学習者も少なくありません。発想はまだ個人の「やることがある」、「何かをやる」というところにあり、もっと有効的に衆生を救い済度するという立場から考えておらず、まだ冷静かつ理性的にこの問題を重視していないと思います。

 迫害は終わってはいけない、終わってしまったら、法がこの世を正すことも始まり、世の人々もチャンスを失ってしまうことになると思っている学習者もいます。

 迫害を終わらせるのは私たちではなく、師父であると思っている学習者もいます。

 これらの学習者は師父の説法を持って自分の考え方の根拠にしようと思っているようです。例えば、師父の『功能とは何か』の文章の中に「大法が苦難の中ですべてを圓満させた時には、大法を迫害したすべての邪悪の最期となる」という段落をもって迫害を繰り上げて終わらせない根拠にしていて、法を正す勢いがやってきたときこそ、迫害が止むのであって、師父こそこの迫害を終わらせることができるのだと思っています。

 これは一部分の学習者の大法を学ぶ目的があまり純正でない表れではないかと思います。(もしこの心を捨て去らなければ、この討論でなくとも、他の問題で違う意見が出た場合、自分の意見を固持するとか、大法から自分の考えを証明する段落を探すとか、同じような形の論争が出てくると思います)。二日前、明慧ネットで掲載された学習者の文章に書いてあったように、法を学ぶ目的は大法から自分の考え方が正しいと証明する段落を探すのでなくて、自分の不足を探すべきです。そうでないと、意見の食い違いがあった場合、言い争ったりして、どう見ても、自分のほうが正しい、相手が変えるべきだと思ってしまいます。もし敬虔で純正な心を持って法を学べば、この現象はなくなって、みんなは各自迅速に向上してくると思います。

 迫害が8年も続いたのは確かに一部分の学習者の向上が遅いという理由がありますが、もう一方では、迫害が長く続くにしたがって、みんなは迫害を黙認してしまい、常人のようにどうしようもないと思い、或いは、大法弟子の修煉向上に不可欠な環境で、衆生を救い済度するための需要だと思ってしまいました。これこそ、迫害がまだ終わらないさらなる根本的な原因ではないかと思います。常人の次元から見ると、迫害は共産邪党の本性によるもので、常人を超える次元の理から見れば、迫害の継続はたくさんの学習者の正念がまだ足らず、邪悪をそのまま放任して、求めてきた結果だと思います。大法弟子が迫害を求めると、師父が面倒を見てくださらなくなります。大法弟子はいつも到達すべき次元に至らないと、師父にさらに多くの迷惑をかけてしまいます。師父には勿論ほかに方法がいくらでもあります。しかし、迫害で衆生が大法を正しく認識できないことからもたらした障害も目立ち、衆生にもたらした損害もただものではありません。大法弟子はこの迫害を終わらせようとしない、或いは、終わらせようとしてもその能力がないと思うならば、その損失がひどくなる一方に違いありません。8年も続いてきた迫害があらゆる生命に残したマイナスの教訓、影響、及び大法弟子が真相を伝えるときに繰り返し使う資料はもう山ほどあります。

 大法弟子は衆生の唯一の希望です。私たちの法理上の誤解は直接衆生に損失をもたらすのです。勿論、「なるべく早く迫害を終わらせる」のは人心で求めるものではありません。しかし、もし人を救うには迫害が必要だと思っているならば、「旧勢力の按排を根本的に否定する」と言うことをどう理解すればいいでしょうか。いかなることにも口実を作ることができますが、修煉の厳粛さ、人を救うことの厳粛さには、くれぐれも気をつけていただきたいのです。

 2007年8月12日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/8/160409.html