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この迫害を直ちに終わらせるべきである


 文/中国河北省大法弟子

(明慧日本)この迫害はもう八年も続いてきました。私たち大法弟子は深刻に反省しなければならない時期にもなりました。歩んできた道を振り返って見ますと、確かにほかの学習者の言ったように、迫害を終わらせるチャンスをずいぶん逃してしまいました。法を正すことが終了に近づこうとする時、私たちは必ず最後の道をよく歩み、後で後悔しないように、さらに多くの衆生を救い済度しなければなりません。次は自分のささやかな悟りを述べさせていただきたいと思います。間違いがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 一、迫害は発生すべきではない

  「4・25」事件が発生した後、師父は同じ日に(1999年6月13日)『位置』と『安定』の二篇の経文を発表されました。『位置』という経文の中で、表に出て、大法を実証することが肯定され、また、「わたしは、圓満成就できるか否かの試練を乗り越えてきた大法修煉者にお祝いの言葉を送りたいと思います」ともおっしゃいました。多くの学習者は私と同じように、このお話にとても印象深かったでしょう。なぜかというと、圓満にかかわるからです。その人心はこのように考えていました。「表に出て北京に行けば圓満になるのか、よし、次にチャンスがあれば私も北京へ行く。天安門へ行く」、これはなんと強烈な執着でしょう。この執着があまりにも強烈で、師父がこのお話の前におっしゃった言葉「偉大なる修煉者とはすなわち、重要な試練にあった時、自我を放棄し、さらに一切の常人の考え方を放棄できる者である」を無視してしまったようです。更に同じ日に発表された『安定』の中の「この間に起きたことに妨害されず、心を落ち着かせ、正常な煉功と法の勉強を取り戻し、着実に修煉し精進し、絶えず自らを向上させてほしい」も重視しませんでした。

 旧勢力が騒いでいる中、大きな災いが近づいてきた兆しをなんとなく感じました。この時、落ち着いて、よく法を勉強し、自分を絶えず高め、「自我を放棄し、さらに一切の常人の考え方を放棄できる者である」という師父のご指導に基づいて行うべきです。しかし、焦って次元を高め、圓満したい私たちの人心があまりにも強くて、なかなか冷静にはなりませんでした。「関を乗り越え、難を乗り越え」ということは圓満するまでの必ず通らなければならない道だと思いました。そのとき、心の中で「この関」を望んでいる学習者はとても多いでしょう。一人、二人だったら、まだいいでしょうが、こんなに多くの学習者はみなこのように思ったら、とても大きな揺れ、強大な執着を形成してしまったのではありませんか。旧勢力はこれを目にして、この隙に乗じて、自分の計画した按配を行いました。「こんなに多くの人が次元の向上、圓満に執着し、魔難を求めました。よし、私がしてあげましょう」これはまさに旧勢力の口実なのです。

 今悟りましたが、師父が『位置』と『安定』を発表された目的は、法理を分からせ、このことを戒めとして、自分の心性に照らし、自分の次元、圓満に執着する心を取り除き、「自我を放棄し、さらに一切の常人の考え方を放棄できる者である」ことに達するためで、別に更に大きな魔難を経験させるわけでもないし、大法弟子は魔難を経験して初めて圓満すると言うわけでもありません。もしそのときに大法から正しく悟り、落ち着いて大法を学び、師父の指導された通り、自我を徹底的に放下すると同時に、さまざまな形を利用して、しっかりと真相を伝えることができれば、旧勢力がいくら段取りしようとしても、この迫害を発動しようがないと思います。

 こうしてみると、大法弟子がもし道を正しく歩めば、そもそもこの迫害が発生することはないのです。

 二、迫害は存在すべきではない

 迫害はすでに発生してしまいました。暫くじたばたしてから、私たちはだんだん落ち着いてきました。この魔難についても、反省するようになりました。この魔難は師父が設けてくださった関ではなく、正真正銘のごろつき式の迫害であることを認識するようになりました。旧勢力は法を正すことを妨げ、大法弟子にまだ残っている業力や観念、執着を試練の口実にしました。これに対し、師父は法理をはっきりと教えてくださり、師父は旧勢力のこの按配を認めない、正念をもっと強め、「それらを否定し、旧勢力の全てを全般的に否定してください!」『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』と教えてくださいました。

 残念なことに、大多数の学習者は人心に動かされ、強大な正念で旧勢力の按配を否定するどころか、かえって師父の説法を一方的に理解し、私たちは漏れがないところまで修めると、迫害は自然に終わるだろうと勘違いしてしまいました。ですから、個人修煉の態度で法を正す修煉に対処し、迫害が現れても、個人修煉の道だと思い込んでしまいました。正念を発することも迫害を減らすために頼るもので、迫害に我慢できないとき、わらにすがるように思い、甚だしいことに、ほかの学習者が迫害された場合、旧勢力の立場に立ち、どこそこに漏れがあったから迫害されたと非難し、「私たちはみな大法弟子で、迫害されてはいけない、学習者を迫害するすべての邪悪な生命と要素を徹底的に解体せよ」という確固たる正念を発していません。

 確かに、私たちは内に向けて探すべきです。しかし、私たちの内に向けて探すことは堂々とした大法弟子の慈悲なる修煉の状態で、旧勢力の按配の元で、小心翼翼で、優柔不断になり、怯えてしまうというものではありません。また、私たちは胸を張って、旧勢力にこう言えます。「そうです。私たちはまだ業力や観念、執着があります。だからこそ、私たちはまだ修煉している人と言えるもので、世間で師父を手伝って法を正すことができるのです。もしみんなそんなに純粋になったのであれば、すでに佛道神に成就したのではありませんか。まして、われわれの修煉は師父が面倒を見てくださっているので、旧勢力と何の関係がありますか」

 修煉の中、師父は様々な方法で私たちを悟らせ、ヒントを与えてくださっています。学習者たちはともに高めるように交流しあい、更に、絶えず大法の学習を通して、自分に照らし、「心を修して欲を断ち執着を去る」『誰が敢えて常人の心を捨て去るか』これこそ我々の修煉形式なのです。これに対し、旧勢力は卑しい手段で、大法弟子の正しい信念を瓦解させ、その目的は自分の需要を満たすためです。それはほかでもなく、旧い宇宙の生命が廃れてからの心性の現れです。それなら、私たちはその邪悪な按配を認めていいのでしょうか。

 私たちは邪悪な按配を黙認したからこそ、邪悪が今までのさばってきたのです。もし大法弟子はみな心の底からそれを否定するなら、たとえ迫害は発生したとしても、正念をもつ大法弟子の前には成り立たないことになり、全く存在すべきではないのです。

 三、迫害が続くべくではない

 八年過ぎました。この八年の間、連行されたり、拷問によって苦しめられたり、家族と死に別れたり、貴い命を失ったり、身を落ち着けるところもなく、路頭をさまよう学習者はどれくらいいるか分かりません。しかし、大法弟子は宇宙大法への確固たる正念を持ち、大法は世間では形勢を安定させ、未来の覚者のこの上ない威徳も成就しました。しかし、これで私たちは満足できるのでしょうか。

 今、たくさんの学習者の状態を言うと、アメリカの学習者が「直ちに迫害を終わらせよう」という文章に書いてあったように、「一つ一つの実際問題に直面して、ある程度反迫害活動をきわめて困難に満ちた正義の事業と見なしてしまいました。とても大変なことですが、少し「その中に楽しく」感じるようで、旧勢力の按排した邪悪な試練の中で、「苦を楽とする」「自慢」のように修煉しているようです。」

 確かに、大法弟子は反迫害の中でやったすべては、素晴らしかったです。師父も認めてくださいました。しかし、私たちは反迫害のために来たのではないということをはっきりと分からなければなりません。私たちには衆生を救い済度するという使命があります。旧勢力の段取りしたこの迫害はこの使命を完成させるための巨大な障害なのです。反迫害の中で威徳を立てたからといって、自分の使命を忘れてはいけません。

 『米国首都での説法』の中で、師父はこのようにおっしゃいました。「法を正す中でいくら恐ろしいことがあっても、結果は必然的なものです。生命の全ての過程こそこの生命の全体を成しています。法を正す全過程が最も貴重で、これは即ち宇宙の全てであり、最も素晴らしいことです。そのため、法を正すこの過程は非常に重要になり、旧勢力を思うままに参加させてはいけません。 特に、法を正すことから言えば、私はなぜこれほど自らの歩みたい道を堅持しているのでしょうか? それは未来を切り開いているからです。私が宇宙の中で行なった全ては最も大切にすべきもので、それは将来、私が是認し、承認するものになります。私が要らないものを認めてはならず、是認してはいけません。それは恥なのです。」

 師父のこのご説法を繰り返し読んでいるうち、「師父はすべての衆生を救い済度しようとしていて、旧勢力の按配を一切認めない」と私はつくづくと感じました。私たちは大法弟子として、師父の希望を叶えるべきです。もし徹底的に旧勢力のすべての按配を否定し、正念を持って直ちにこの迫害を終わらせ、人を救い済度する神が迫害されない道を切り開き、人から神に成就する道を切り開いてから初めて、道を正しく歩んだといえるでしょう。このように行ってはじめて、師父の法を正す難しさを減らすことができるのです。もしもっぱら自分の次元の向上ばかり気をかけると、無意識のうち、旧勢力の按配下の修煉、魔難の中の向上になってしまい、この世に落ちる前の約束を背離することになってしまいました。

 八年はもう短くありません。私たちは師父のおっしゃるとおり、「ますます理性的になり、冷静になりました」になるべきです。この迫害は単なる大法弟子への迫害ではなく、衆生への迫害でもあります。大法の威厳を実証するため、衆生を救い済度できるようにするため、この迫害をこれ以上続けさせるべきではありません。

 大法弟子皆の力で、「大法を破壊するすべての邪悪な生命と要素を徹底的に清掃し、解体して、迫害を直ちに終わらせよう」という強大な正念を発しましょう!

 2007年8月12日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/7/160245.html