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長春市の法輪功学習者・孫淑香さん、度重なる強制連行・拷問

(明慧日本) 2007年8月3日、長春市の法輪功学習者・孫淑香さんが、真相資料を配布していた時、真相の分からない12、3歳の子供に通報され、長新街派出所の悪辣な警官に強制連行された。今回で、少なくとも12回の強制連行となった。

 長新街派出所に監禁されたとき、孫さんは悪辣な警官に強引に捺印させられ、写真を撮られ、ビンタを食らわされ、トイレにも行かせて貰えなかった。また、長時間にわたり、両手を後ろにして手錠で椅子に固定された。両手首はそのために浮腫み、激しい痛みを感じた。孫さんは、24時間にわたり不法監禁されてから、双陽三拘置所へ移送された。しかし、高血圧の症状が現れたため、拘置所は孫さんを受け入れなかった。長新街派出所は仕方なく釈放した。

 孫さんは8年間、人々に対して法輪功の真相を絶えず伝え、少なくとも12回強制連行され、不法監禁、強制労働を強いられ、拷問、虐待を受けた。孫さんの夫は、悪辣な警官の恐喝下で離婚させられた。これに対して、老母は悲憤慷慨し、重圧のために死亡した。

 孫さんが受けた残酷な迫害の数例をあげる。

 2002年5月、孫さんが父親の家を訪ねたとき、双陽区北山路派出所の警官に強制連行された。後に、長春市公安1処の地下室で拷問を強いられた。「トラの椅子」に縛られ、悪辣な警官は高圧の電気警棒で、時間を掛けて指先から、腕、頭、目、口腔、乳房、肋骨部分、陰部、足の爪まで、全身があざだらけになるまで電撃した。特に乳房、肋骨部分、陰部など最も痛みの感じ易い部分に対して、警官は繰り返して電撃し、全身が高圧の電流に焼けただれて黒紫色になり、親指大の水泡が全身にでき、傷だらけになった。孫さんは残酷な拷問を受けて、翌日になっても意識不明のままであった。息が絶え絶えの状態になっても、警官はすぐには釈放しなかった。暫らく経ってから、警官はようやく孫さんを自宅へ戻した。

 2003年8月4日、孫さんは、工大付近で真相チラシを貼り付けていた際に、パトロールしていた警官に強制連行され、南関区公支局へ送られた。悪辣な警官にビンタを食らわされ、髪の毛を掴まれて壁に向かって強く叩きつけられた。さらに、トラの椅子を強いられ、ビニール袋を頭に被せて、窒息するようにさせられた。警官は、重い鉄の輪で孫さんの両足をきつく固定してから、中に通っている鉄の棒を上から体重を載せ、鉄の輪がさらにきつく縛るようにしたため、激痛に耐えられず意識不明となった。第三拘置所で、孫さんは断食し続け、危篤状態になってから、悪辣な警察は、ようやく家族に連絡し連れて帰らせたという。

 2007年1月17日、体がまだ完全に回復していない孫さんが、紅旗街で真相資料を配布したときに、紅旗街派出所の悪辣な警官に強制連行され、拷問を強いられた。警察は十数台の警察の車を出動させて、孫さんを強制連行した。第三拘置所で受けた残酷な迫害に対して、断食して抗議した。後に、健康状況が危うくなり、長春市刑務所センター病院へ送られた。吐血し、血便が出て、心拍数が1分間に170回にも上り、時々意識不明になり、命が危険な状態に晒された。家族は本人の釈放を求めたが、警察は断固として受け付なかった。20数日後、孫さんは危篤状態に陥ったときに、市局は、なおも孫さんに対して1年6カ月の、強制労働の刑を不法に処した。孫さんは黒嘴子強制労働教養所に送られたが、受け入れられなかった。悪辣な警察は、ようやく孫さんを正月前に釈放した。

 2007年8月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/15/160878.html