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長春・黒嘴子労働教養所:魏鳳挙さんは出所前に不明の薬物を注射された

(明慧日本)法輪功学習者・魏鳳挙さんは2007年4月13日、長春の黒嘴子女子労働教養所から釈放されて家に帰って来た。しかし、1カ月後から突然食事が摂れなくなり、ひっきりなしに下痢をし、大小便を失禁、全身が痛くなり、体重が急激に減少して、7月12日に死亡した。亡くなる前は物も見えなくなり、頭はぼんやりしていた。魏鳳挙さんは労働教養所から帰って来た時「私は良くはなりません、彼らは(長春の黒嘴子女子労働教養所の警官)私に注射した」と言っていた。

魏鳳挙さんの遺影
魏鳳挙さんの遺体

 魏鳳挙さんは吉林省東豊県の第4中学の教師で、法輪功を修煉したため、8年の間に3回も不法な労働教養を科され、毎回すべて長春の黒嘴子女子労働教養所1大隊3分隊に監禁されて迫害された。

 2007年4月13日、魏鳳挙さんが労働教養所から最後の3回目の釈放になった時は、すでに迫害されて骨と皮ばかりに痩せ、生活は自立出来ない状態だった。しかし、小さい茶碗1杯くらいのご飯は食べることが出来た。家に帰って来て1カ月後のある日、突然食事を摂ることが出来なくなり、食べるとお腹が激しく痛み、ひっきりなしに下痢をするようになった。2週間くらいで、痩せて顔貌が変わり、大小便を失禁するようになった。生活は完全に自立できず、体重は急激に下がって、最後は僅か20〜25kgぐらいしかなかった。全身に痛みがあり、食べると腹痛が激しくなり、尿は血の色をしていた。亡くなる2日前からは物が見えなくなり、頭はぼんやりしていた。亡くなるまで目は開いたままで、最後の10数日間は、口を閉じることができず、水も飲めなくなった。

 魏鳳挙さんが迫害されて死亡した後、東豊県公安局の国保大隊の凶悪な警官・陳双有と女性警官1人が彼女の身内を尋ねて不法な労働教養のときの明細書を手渡した。家族にはただコピーだけが渡された。人を迫害して死亡させ、また物まで処分するとは本当に悪質である。

 *魏鳳挙さんが不法に3回労働教養を科された情況の補充

 1回目:2000年1月1日から2001年3月までの1年2カ月。魏鳳挙さんは北京へ陳情に行き、1999年12月30日に不法に捕えられた。2000年1月1日夜、吉林省東豊県政保科の凶悪な警官・陳双有が北京へ来て、魏鳳挙さんは連れ戻され、1年以上の不法な労働教養を科され、又現金1600元を奪われた。

 2回目:2002年正月15日〜2005年4月13日まで3年間。 

 3回目:2005年10月13日〜2007年4月13日まで1年半。不法労働教養の期間中の2006年の3、4月ころ、黒嘴子女子労働教養所の凶悪な警官らは1万ワット以上の電気棒で、魏鳳挙さんの首、乳房、心臓部を電撃し、また電気棒を口の中に入れて苦しめた。2大隊の凶悪な警官・魏丹(37歳女性)は何回も感電させて彼女を苦しめた。

 魏鳳挙さんの最後の労働教養で、彼女の迫害に参与した第4中学校の主な人物は、同中学の校長・蘇景友、書記・陸盛隆(魏鳳挙さんが亡くなった後の17日目に、報いで突然、心筋梗塞で死亡)、彼女を見張った4中学校の労働組合の主席・于志国である。

 2007年8月16日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/14/160836.html