日本明慧
■印刷版   

同修・張忠さんの思い出

(明慧日本)8月12日の午前、私はパソコンで11日の記事—黒竜江省から国際調査団に呼びかけるニュースを読んだ。迫害により亡くなった6人の黒竜江の法輪功学習者のリストと共に、張忠さんが2004年大慶監獄で迫害により痩せて骨と皮になった重体の写真が掲載された。

 その瞬間、私は2006年春、ある同修の家族が××魔窟で法輪功学習者と面会する時、偶然に出会った警察官を思い出した。あの警察官は真相を知っており、この××魔窟の内幕に関する話を聞かせてくれた。ここは秘密強制収容所の可能性があって、いつも車で山東省地域の学習者を運んで来るという。調べにより入り口は見付かったが出口は見付からず、市内のどこかの病院にあるかも知れないという。内幕を知っている人が協力を拒否した為、現在調査が進まない状態になっている。

 事情を更に調べる為、同修の張忠さんがハルピンから来られ、私の家に一晩泊まることになった。彼は身長が170cm、青色のズボンに黒色の髪、白くハンサムな顔で気前がよく、礼儀も正しく、プロポーションがよく、口ぶりが穏やかな人だった。私の記憶の中の張忠さんと迫害で重体になった写真での姿はまるで別人のようだった。彼は大慶監獄での迫害より痩せて骨と皮になったが、満期後1年間の法輪大法の修煉によりほぼ完全な健康に回復された。

 張忠さんは汽車で1時間かけて我らの地域に来て、又、車で1時間かけて同修との約束地に行き、そこから又、バイクで100里離れた所にある同修の家に行って情報を聞いてから車で100里離れた私の家に戻った。もう夜12時になり、翌日にはまたハルピンに戻った。それなりの健康でなければ一日で汽車、車、バイク、また車で4-500里を往復することは、普通の人では全く不可能に違いない。法輪大法を修煉しているからこそ、痩せて骨と皮になった重体から1年で完全に健康に戻れたのである。

 それから約半年後、張忠さんと19人の法輪功学習者がハルピンで交流会を開いた時、ハルピン市の警察に逮捕された。安全局の真相を知っている人の話によると今回の迫害は携帯電話の定位監視からスタートした。張忠さんがハルピン市警察の迫害により重体になった後、ハルピン公安局病院に移送され、2006年10月16日に迫害で亡くなった。

 大慶監獄およびハルピン市南崗区分局、公安局病院で張忠さんの迫害に参与した悪人たちが、35歳の礼儀正しい若い生命に対して、これほどの狂気じみた迫害をするのは悪魔と同じである。悪人たちが中共の無神論の虚言に騙され、善悪には報いがある天理を信じないからと言って、絶対に天罰から逃げ出すことはできない。上海宝山刑務所の魏志耘(女)は2005年に法輪功を迫害する国保処に転勤して課長に昇進した。2007年始、善悪には報いがあるとは信じない、××党が私の全てを下さるのでその党の為に働くべきだ、人は如何にしても最後には死ぬものなので気にしなくでもいい‥・など狂言を言い出した20日後、爆死し、死体は膨張し、捻じ曲がって変形していた。

 黒龍江省大慶監獄、ハルピン公安病院、ハルピン女子監獄、万家労働教習所、綏化監獄、泰來監獄など、全ての監獄、労働教習所、全省公安、国安、610、警察署などで、不法に法輪功学習者を逮捕、迫害した悪人たちは、直ちに迫害を停止し、学習者を釈放して天滅中共の大災難の前に自分と家族に生存の希望を選択するよう忠告する。黒龍江省で迫害により死亡した学習者の数は、確実な証拠があるものだけで387人で、全国で2番目に多い省となっている。これらの迫害、犯罪の責任は頑固に改心しないかれらが返済するしかない。一日も早く覚醒して邪党を投げ捨て直ちに迫害を停止し、不法に監禁した法輪功学習者を釈放するのが、あなたたちが過ちを償う明知な選択である。

 2007年8月17日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/8/14/160834.html