学習者が注意すべき三つの問題 文/北アメリカ大法弟子
(明慧日本)
1、協調は大法に基づいていない
北アメリカの一部分の地区では、週末になると、いつもさまざまな会議があります。中には大体時間を事情説明や仕事の打ち合わせに使い、大法を学んでからの交流はただ技術の次元に留まったりする現象が多いのです。これは協調担当者と関係するだけではなくて、私たちとも関係があるのです。つまり、本当の有効な協調とは何かについての認識がまだはっきりしていないのです。
明慧ネットで2年077月31日に掲載された中国河北省大法弟子の「いかに協調という仕事の中で修煉、向上するのか」という文章の中でその本質が指摘されたと思います。「このように、協調担当者は単なる大法の仕事を協調するだけではなく、大法に基づいての協調をしなければならず、つまり法をよく学び、認識を高め、矛盾が起こったら、自分の不足を探し、自分の行為を大法に照らして、自分をあらためなければなりません。このようにしてはじめて、『全体の向上、昇華』(『転法輪』)をすることができます。これこそ本当の向上だと思います」。実は私たち一人一人はみな真相を伝える窓口で、みな協調担当者です。いつでもどこでもどんなことでも、法理上ではっきりとした認識も持ってはじめて、効果を収められ、突破できるのです。
2、自分を実証すること
自分を実証するとはどういうことでしょうか。いつも自分が大法を実証していると思っていますが、実は自分を実証しているということがあります。
師父は『2004年ニューヨーク国際法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「もしあなたは法を実証していれば、ほかの人から何を言われても心が動じることはありません。もしほかの人があなたの意見、あなたの気になるところを刺激し、あなたの気分は斜めになったとしましょう。つまり、ほかの人が何かのことについてあなたに反対する意見、またはあなたの意見に同意していない時、あなたは気分が斜めになり、相手に反対したり、弁解したりすることによって、話題を脱線させ、今までの話題をまったく考慮してなければ、あなたの弁解が最も善意な弁解であっても、あなたは自分を証明していることになります」。
3、天目と超能力を求めること
天目が見える学習者だと分かると、自分の心性を守れず、何か問題があれば、その学習者を頼り、問題がどこにあるのかと聞きにいく学習者がいます。それは大法の修煉の原則に違反することです。誰かが何かを見たと聞くと、本当のことだと信じ込んで、学習者の間でそれを広める学習者もいます。
実は大法の修煉を始めてから今まで、ずっと悟りの問題に関わっています。大法に基づいて悟れるかという問題があります。超能力は修煉の付属品で、たいしたことではないのです。超能力に執着すれば、間違った道を歩いてしまいがちです。だから、自分であろうが、他人であろうが、何かを見たとしても、心が動じていけません。仮相に惑わされず、大法に基づいて修煉しなければなりません。
ほかの空間が見える小弟子がいますが、その天目が見たものに好奇心があり、あれこれ聞いたり、子どもを使って、何か見てくれたりする大人がいます。それは不正な表現で、大法を破壊する行為でもあります。天目を求めたり、求める心で何を見ようとしたりする行為は何の得もないし、子どもにもよくありません。違う空間の生命が重なる現象があり、子どもは誰かが何かよくない憑き物に憑かれているのを見たことがありますが、実はそうではなく、大法弟子は憑き物と同じ空間に存在していないのです。そのことを正しく認識できず、でたらめに言い伝えてしまえば、大法を乱すことになります。だから、子どもに純正な環境を作ってあげて、あれこれ見させるのではなくて、よく大法を学ばせるように導くべきです。これは自分に責任を負うことであるし、子どもに責任を負うことでもあるのです。
師父は『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』の中でこうおっしゃいました。「また、功能にいつも興味のある学習者がいます。一部の学習者に異なる空間での法を正すことの情況を見させましたが、その目的は法を実証することに対する学習者の自信を固めるためですが、これに正しく対処することのできない学習者がいます。法に基づいて修煉するのではなく、何かがあったら、功能のある学習者に見てもらい、見えたものをどのように大法の仕事をするかの指導と修煉の指導としています。これは既に非常に危険なのです。誰に法を正すことの根本が見えるのでしょうか?! 誰に大法を修めることをはっきり説明することができるのでしょうか?! 次元のとても低い表れは真相の根本ではありません。法に基づいて修めず、法に基づいて行わなければ、あなたはまだ大法弟子なのでしょうか?! 何かあったら、こういうことではないかと見てもらいますが、何を見るのでしょうか? 誰にあなたの根本が見えるのでしょうか? それだったら全部教えましょうか? あなたの子どもでさえ見えません。私は既に話しましたが、大法弟子の間も見てはいけません。皆さんの本当の修煉情況を見たら、まだ何を修めるのでしょうか? それだったら、全部教えてあげれば良いのではありませんか? それは見えないのですよ! 異なる次元に異なる現われがあるので、どの次元での現れでもその次元にいる生命にとって真理であり、全ての次元に真理があります。しかし、それはある物事の異なる次元での現れであり、最も根本的な現れは上の次元にあり、最後の次元になると、やっと最終的な根本にたどり着くのです。どの次元にいれば、大法弟子の根本的な真相、法を正すことの真相、師父の真相が見えるのでしょうか? もし、あなたは今日大法弟子と師父の根本的な真相、大法の真相が見えたら、あなたは今日この計り知れない宇宙の主となるのです! あなたに全部見えたのでしょうか? 全てを目に納めたのでしょうか? 何でこれほど愚かになったのでしょうか? 私はこれについて数回説法したことがありますが、何でどうしても妨害されるのでしょうか?」。
すべてがはっきり見えるのは師父しかいません。大法弟子が何かを見た場合には、修煉に助けのあるもの以外には、ただ修煉過程の現れに過ぎず、何の意味もありません、まして、仮相を見た場合もあり、それはもっと冷静に考えるように注意しなければなりません。
2007年8月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/15/160827.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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