四川省崇州市の田碧英さんが遭った迫害の経歴
(明慧日本)四川省崇州市の住民・田碧英さんは、かつて全身に持病をもっており、精神分裂症の患者だった。2001年、田碧英さんは法輪大法に出会い、数カ月の修煉を経てから、全身の持病が無くなった。田碧英さんは、自らの経歴から人々に法輪大法は素晴らしいと言ったため、3回も捕まり、不法に労働教養所に監禁され、非人道的な苦難に遭った。2007年5月、迫害により命が危篤状態になったために、田碧英さんは、労働教養所から釈放された。
田碧英さんは、今年40歳になる女性で、四川省遂寧市の、市中区東禅鎮金馬3大隊の9分隊に住んでいた。法輪大法を修煉する前は、胃炎、鼻炎、胸膜炎、婦人科病等全身に病気があり、また精神分裂病を患っていた。それから右腕には卵くらいの腫瘍があり、精神分裂病が発病する時は、あちこちをむやみに走りまわり、服やズボンを着ることさえせず、大小便を手でつかんで食べたりした。家族は彼女のために方法を考え尽くし、借金までしてあちこち治療が出来る医者を探し回っていた。そのため家族は、とても苦しい思いをしており、彼女も生きることが、死ぬことより苦しい毎日だった。
2001年、田碧英さんは、崇州にいる2番目のお姉さんと一緒に住んでいた。彼女の2番目のお姉さんも、長年治療出来ない各種の持病を患っていたが、法輪功を修煉してからは全てが治って元気になった。田碧英さんは、お姉さんを通じて大法を得ることが出来、10数日後は全身に患っていた長年の持病が消えており、腕の腫瘍もなくなり、頭ははっきりとなり、全身は軽くなった。数カ月後は、人が完全に変わり、以前よりも若くなり、道沿いで靴の修理をする仕事をするようになって、金も稼ぐようになった。
田碧英さんは、多くの人が中国共産党のうそに騙されており、法輪大法の真相を知らない人々を見て、自らの経験から法輪大法の素晴らしさを説明し、多くの人を助けていた。しかし一部の人は、悪党の宣伝に深く毒され、3回も彼女を告発した。2001年と2004年、彼女は2回も崇州市の城東派出所の悪警官らに捕まえられて、不法に家財を差し押さえられ、全ての大法の資料や書籍を奪われ、殴られ、蹴られ、留置場に2カ月余り監禁されて迫害を受けた。
崇州市留置場で、凶悪な警官は、10数人の監禁中の囚人や死刑囚と一緒に何度も彼女を殴り、彼女は全身が傷だらけになり、頭の感覚がなくなり、聴覚も悪くなった。それから凶悪な警官に、強制的に灌食をされ、水を入れられ、冷たい水をかけられて、彼女はとても苦しい思いをさせられた。それからまた、遂寧市の留置場に送られて、不法に1カ月余り拘禁されて迫害された。
2006年2月、田碧英さんがお客さんの靴を修理している時に、崇州市城東派出所の悪警官・劉増杰、王翔等の5、6人の悪警官らは彼女が『九評』を配布したとの告発があったと罵りながら、彼女を意識がなくなるまで殴って、パトロール・カーに連行し、彼女が住んでいるところに不法侵入して、彼女のすべての大法の書籍、資料、師父の写真等を奪い、それからレコーダー、テープと現金200元を奪い、その上彼女の自転車や、靴の修理用具まで奪い、更には彼女の手元に持っていた23元のお金まで全てを奪ってから、彼女を不法に崇州市留置場に閉じ込めた。留置場の凶悪な警官は彼女の顔や頭を拳で殴り、劉娟、竜素芳等の7、8人の監禁中の囚人を指図して、何度も、彼女を殴ったり蹴ったり冷たい水をかけたりした。
2006年10月末、崇州市検察院の男性2人と女性1人が、強行に田碧英さんを検察院の車に引っ張って入れ、彼女をpi県留置場に転送した。崇州市留置場の悪警官は彼女を殴ったり、蹴ったりしており、彼女の掛け布団と服を車内に投げ込み、また彼女の貯金通帳にある、149元のお金までも奪った。
ピ県留置場で、凶悪な警官は常に受刑者を指図して彼女を殴らせたり、罵らせたりして彼女を苦しめた。ある日、悪人は強行に彼女を殴り、彼女の服が、ぼろぼろになるほど引っ張った。田碧英さんの右足の皮は引っ張られて1寸余りの傷が付き、赤い血が流れた。
2006年11月22日、ピ県留置場の2人の男性と1人の女性は、田碧英さんを四川省資中県楠木寺女子労働教養所の7中隊に転送した。ここの悪警官は彼女を長期に亘り壁に向かって立たせており、彼女の睡眠を奪い、トイレにも行かせず、洗面さえさせず、毎日殴ったり、ののしったりした。トイレに行かせないため、彼女は毎日少量のご飯を食べて、水も飲まなかった。寒い冬の夜は長く、彼女はただ1枚の薄い掛け布団と1枚のセーターしかなかった。田碧英さんは寒くて、また空腹で、骨と皮ばかりに痩せてしまい、手足がだるくなっていた。
悪人は常に彼女に所謂「三書」を書くように強いたが、田碧英さんは確固として断り、逆に彼らに大法の素晴らしさを説明した。悪人は気が狂ったように彼女を苦しめ、意識がなく、ぼんやりしている彼女の10本の指を「三書」の上に押さえて指印を付けた。田碧英さんは目が覚めた後、記憶を失い、頭はしびれて、ぼんやりしている時に、悪人は、強制的に彼女に自分達に付いている師父と、大法を罵らせ、中傷する言葉を言わせた。彼女は意識が戻った後、彼らに向かってあれは自らの内心から発した言葉ではない。大法の先生は素晴らしい、大法は素晴らしい、善悪には報いがある、大法を迫害するなと自分の意思を伝えた。
悪人は更に激しく彼女を苦しめた。彼女は睡眠、トイレ、洗面等を奪われただけではなく、常に殴られて全身の皮膚や肉は、ぼろぼろになり、足は腫れて靴さえ履けなくなり、左肩と首は大きく腫れて鬱血し、ガチョウの卵くらいの瘡が出来て化膿し、
深い穴があいて病院に送られたが、1千元のお金を使って治療しても、病症は治らず更に深刻になった。凶悪警官らは彼女が労働教養所で死ぬことを恐れて、2007年5月末に遂寧派出所に通知を出して、彼女を家に帰した。
田碧英さんが出獄したとき、家族と村中の人々は彼女を見て驚き、お金を出し合って彼女を病院に送って治療をさせようとした。田碧英さんは、刑務所の悪警官らに殴られて今の状態になったが、法を学び、法輪功を煉ると直ぐに良くなると言った。田碧英さんは、毎日法を学び、煉功を堅持したため、何日か後には、やせて弱々しいかった体は元気を取り戻し、腫れていた瘡も治り、全身の傷も治って、僅かな痕跡が残るほどになった。彼女の家族と同郷の人々は、大法の不思議さを目にして、大法は本当に素晴らしいと感動した。
2007年8月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/17/161018.html)
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