青島市の法輪功学習者・郭華英さんは不法に懲役を言い渡された
(明慧日本) 青島市菜西の法輪功学習者・郭華英さんは2006年5月に、610オフィスの悪人らに拘束された。悪人らが郭さんに懲役を処そうと数々の手段を講じた。郭さんは悪人らから逃れるために、ビルの上から飛び降りて重傷を負った。その後、郭さんは危険から逃れる前に、1年の刑を不法に言い渡された。
郭華英さん(54歳・女性)は青島市菜西水集鎮水集二村の住民。2006年5月25日午前11時、郭さんは自宅で食事の支度をしているときに、家の中に押し込んで来た菜西610オフィスの警官・沈濤、隋国勤および龍水路派出所の警官に拘束され、不法に家宅捜査をされた。悪人らは法輪功関連書籍、MP3を2個、師父の肖像2枚、説法テープおよびその他の個人の物品を押収し、郭さんを龍水路派出所に強制連行し監禁した。夜10時から翌朝5時過ぎまで、警官の沈、隋の2人は郭さんに対して不法に尋問を行った。
5月26日昼、郭さんは菜西辛庄洗脳班へ送られ迫害を加えられた。夕方、警察と結託した菜西裁判所裁判官は郭さんの尋問に加わった。5月27日、龍水路董金暖など4人の警官は郭さんを青島大山拘置所へ連行した。しかし、郭さんは、青島私立医院で健康診断をした際、手続を一切行わなかったため、大山拘置所は郭さんの受け入れを拒否した。28日、警察は郭さんを菜西市人民医院へ連れていき健康診断をさせたが、慢性腎炎など複数の病気に罹っていることが分かった。警官らは郭さんの健康状態が条件を満たしていないと知りながら、郭さんを大山拘置所へ再び送り込もうとしたが、再度拒否された。その後、郭さんは劉水路派出所に連れ戻され監禁された。29日昼、郭さんはさらに菜西辛荘洗脳班へ連行された。5月30日、村の悪党副書記・郭玉強は3000元を使い、菜西610オフィス、水集合鎮政府宋と共謀して、1ヶ月にわたり郭さんを王村洗脳班に送り込み迫害を加えた。
その後、郭さんは王村洗脳班から菜西辛荘望城鎮派出所へ移送され、警察官・李為魁、瑞国勤務が先頭に立ち、1昼夜尋問した。翌日の午前に警官・沈濤が郭さんに対して、朝から昼まで尋問を行い、昼過ぎてからようやく郭さんを解放した。郭さんは、警察に刑務所外での執行期間だと言われた。
郭さんは自宅に戻ってからも、菜西610オフィス、公安局、裁判所、検察官、悪人裁判官からの嫌がらせが絶えなかった。
2006年10月11日、菜西裁判所は3人の地元学習者に対して、不法懲役を処するため、郭さんに法廷で学習者と対決させようと企んだが、郭さんが留守だったため、悪人らの計画は失敗に終わった。10月12日、地元の裁判官および検察官は警察官・隋とグルになって、郭さんを青島大山拘置所へ強制連行し、孫淑萍さん、陳玉香さん、郭華英さんに対して、いわゆる「現場での対決」を強いて、いわゆる「供述」の署名を強要した。数日後、警察はさらに郭さんを騙し、龍水路派出所まで呼び出した。警察は郭さんの写真を取り、捺印などを強要してから、「逮捕する」と言い、郭さんを拘束した。
警察は郭さんに対して懲役を処するために、郭さんを青島海慈医院で健康診断させた。郭さんは騙されたと分かって、迫害に抗議し、ビルの上から飛び降り、意識不明の重傷を負った。
(注:学習者へ、迫害を逃れる際、理性を保ち、知恵をもって行うよう、安全に注意し、むやみに冒険的行為を止めるよう呼びかける)
病院側は手術をしなければ命の危険に晒されるとし、郭さんの下腹部に対して大掛かりな手術を行った。郭さんは息をするのも困難な状態にあったため、病院側はさらに、郭さんの首に管を差し込めるよう手術した。結局、郭さんの体の多くの部位が切開された。郭さんは介護室で28日を過ごした後、ようやく危険状態から抜け出した。
郭さんが危険状態から抜け出す前に地元裁判所の裁判官は郭さんに対して、4年間の不法懲役を処し、介護をしていた家族は、病院に届けられた判決書を受け取ってさらに精神的重圧が圧し掛かった。
危険状態から抜けた郭さんは、病院でさらにレントゲン、CTなどの検査を受け、骨盤粉砕性骨折、腰粉砕性骨折、腰椎管狭小の結果が出たため、菜西医院へ移送され2ヶ月以上治療を受けた。郭さんは2007年5月1日ころにようやく自宅に戻った。
2007年8月18日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/8/14/160818.html)
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