煉功についての会得
(明慧日本)大法を得てから、10年近くなりました。しかし、私はずっと精進できず、特に4年ほど、ずっと停滞状態で、まるで常人と同じようでした。ところが、慈悲なる師父は私のことを見捨てず、ずっと悟らせるようにヒントを与えてくださいました。そのおかげで、修煉の道に戻れるようになりました。
私は大法を得てから今年の3月にかけて、あまりにも怠けて、ほとんど煉功しませんでした。今年の4月、明慧ネットで「大陸大法弟子は3時50分に集団煉功する」という文章を読んでから、自分も煉功しなければと思って、煉功音楽を明慧ネットからダウンロードし、目覚まし時計を3時40分に合わせました。しかし、その時に起きることができないと胸の中でずっと思っていました。というのは、生まれてからずっと早起きとトレーニングが大嫌いだからです。(もちろん煉功はトレーニングと違いますが)
だから、翌日の朝、目覚まし時計が鳴ると、今日はもう疲れたから、明日にしようと思って、目覚まし時計を止めました。その後、目覚まし時計はまた2回鳴りましたが、やはり止めて、うとうとと寝ました。しかし、夢の中で手紙をもらいました。開けてみると、「このように衆生を救い済度するのですか」と書いてありました。それを読んで、はっと目が覚めました。それは師父が悟らせてくださったと分かって、恥ずかしくてたまりませんでした。それ以降、ずっと時間通り煉功してきました。後で考えれば、思い切ってやりさえすれば、できないことはないと思います。大事なのは自分の意志を固めるかどうかということです。
なぜ私たちは煉功しなければならないのでしょうか。主に原因が三つあると思います。
第一、五通りの功法はわれわれ法輪大法の特徴です。第二、われわれの体と、空間場は煉功によって浄化でき、純正になります。そうすると、我々の正念の威力をもっと強くさせます。第三、大法弟子は集団煉功に溶け込めば、強大なエネルギー場が形成され、それは邪悪を震わせるだけではなく、清掃する役目もあります。
ですから、煉功は私たちにとってとても重要なのです。
昔、煉功に対して厳重な誤解があり、煉功してもしなくてもいい、心性を高めさえすればいいと思い、また大法から証明できる口実を探しました。今振り返って考えると、それは大法に基づいての悟りではなく、ただ自分の不精に口実をつけるに過ぎませんでした。確かに、師父は高次元のものを与えてくださいました。しかし、自分自身を修めることと煉功も必要です。まして、今私たち殆どの人の心性はまだ師父が要求された基準からまだまだ遠く、煉功したくないという表現は他ならぬ心性が低い、苦に耐えたくない表れです。
また私たちは煉功する時に、その基点と状態も大法に符合しなければなりません。つまり、一つの思い、一つの閃きも大法に符合しなければならないのです。これについて、私も深刻な教訓があります。6月のある日、朝煉功して、第一功法の動作「金猿分身」をする時、音楽は突然「抻(チェン)」と「合掌」を抜いて直接「双龍下海」のところまでスキップしてしまいました。最初はそれにあまり気がつきませんでした。しかし、翌日になって、その現象はもっとひどくなり、第一功法だけではなくて、第二功法も同じ問題が出ました。私たちの出会ったことには偶然なことはない、きっと心性に問題があると思いました。
そして、自己を反省しましたが、最近煉功の状態はずっとよくありません。毎日起きるときに、煉功したくない気持ちがあって、煉功しなくてもいい日はいつ来るだろうといつも思っていました。たとえ煉功していても、ただの見せ掛けに過ぎず、ずっと続けてはいますが、主に自分が辛抱強い人だということを証明したい、他の学習者の前で自己顕示したいという発想でやっていたのです。
それが分かると、自分を修正しました。しかし、思いがけないことに、また他の問題が出ました。つまり、煉功するときに、また音楽が飛ぶのではないかといつも心配していて、特に以前飛んだところまで音楽が流れると、心がどきどきしました。結局、また飛んでしまいました。自分は求める心があるからこうなったのだと分かると、第二功法のとき、飛びませんでした。そうすると、自分はまたうれしくなったら、前に飛ばなかった第三功法、第四功法のところで飛ぶようになり、歓喜心のせいだとまた分かるようになりました。今、煉功音楽にはもう異常がないのですが、修煉の厳粛性をこれでつくづく感じました。
2007年8月20日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/7/2/158027.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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