日本明慧
■印刷版   

獄中の法輪功学習者と接して感じたこと


 文/中国大陸獄中の受刑者

(明慧日本)注:本文は獄中の受刑者が不法に監獄に入れられた法輪功学習者と接して感じたことである。この人はかつて警察に法輪功学習者を後見したとして逮捕され,獄中で法輪功学習者と何年か一緒に過ごす中で,法輪功学習者が迫害に反対し、真相を伝えることを通して衆生を救おうとする姿を見て、法を得た。

 初めて法輪功を知ったのは1998年である。当時、中国の大きな公園、広場では夜明けに法輪功学習者が煉功をしているのを見ることができた。当時、法輪功に対する私の認識は体を鍛えて病気を治す気功にしか過ぎなかった。

 獄中で初めて警察から残酷な迫害を受けているにも関わらず固い信念を貫き、一生懸命警官に道理を話そうとする法輪功学習者の姿を見て、私は言葉に表すことが出来ないくらい心を動かされた。同時に、多くの疑問を抱くようになった。しかし、法輪功学習者の修煉の意味—真・善・忍を知ったとき、私の中にあったすべての疑問が解決した。客観的にいうと、法輪功学習者の修煉は困難で複雑な過程である。彼らは修煉の中で一歩一歩常人の誘惑を排除し、普通の人が我慢することの出来ない屈辱に耐えている。

 私は心から法輪功学習者に感服した。もし世界中の多くの人が、真・善・忍・を受け入れることが出来れば、どんなに調和のとれた健全で幸福な社会となるだろうか。

 法輪功が人類社会において一層光を放ち、真・善・忍が社会の中で当たり前の原則となることを願っている。

 2007年8月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/4/23/153313.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/5/9/85422.html