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河北省雄県:馬青霞さんが迫害をうけた経緯

(明慧日本)河北省雄県十里甫村の法輪功学習者・馬青霞さんは、8年来、何度も迫害を受け、不法に連行されて拘禁され、労働教養されて、仕方なく路頭に迷った。同時に、馬さんの家族(非修煉者)も何度も迫害された。

 馬さんの夫は他の修煉者を告発しないため、2回も悪警に不法に拘禁され、また不法に3年も労働教養され、姑は息子と息子の嫁を懐かしんで、悲しみのうちに死亡した。馬さんの息子は両親の世話を失ったため、もう少しで身体障害者になるところだった。現在、馬さんの家族3人は何度も悪警に掻き乱され、迫害されている。

 1999年7月、江沢民と中共悪党が起こした法輪功に対する迫害は、悪党の宣伝機器で法輪功を誹謗し、濡れ衣を着せ、デマを飛ばし、ののしり、すべての受益した法輪功学習者を傷つけた。

 1999年10月、馬さんと数人の同修は北京に陳情し、悪警に連行され、その後、不法に雄県留置場に拘禁された。16人が一つの拘禁室に監禁され、洗面もトイレも全部同じ部屋だった。ベッドが狭く寝られないとき、法輪功学習者は拘禁された常人に譲り、学習者は冬でも湿気で冷たいコンクリートで寝た。寒く感じなかったし、かぜもひかなかった。体調が悪いこともなかった。ベッドで寝ていた常人はいつも薬を飲んだりして、刑務所の医師も大法の不思議さを目撃した。馬さんは留置場で不法に10カ月拘禁され、不法の者はまた馬さんの家族から2千元をゆすった。

 法律に従って陳情のルートが止められ、馬さんと他の同修たちは自発的に真相資料を配り、人々に中共が法輪功を迫害するのは間違いだと伝えた。1カ月後、悪警は不法に馬さんの家を掻き乱し、家財を没収し、馬さんは仕方なく路頭に迷った。不法の者は馬さんを見つけることができなかったため、馬さんの夫を連行し、不法に4カ月も拘禁した。

 2001年秋、馬さんは雄県に戻り、安全のため、家には帰らなかった。家族は外で集まり、息子は久しぶりに母に会って、とても喜んだ。馬さんもいつも年配の姑を見舞いに行き、世話をした。しかし、2002年正月、馬さんは再び連行された。政保悪警は馬さんに真相資料の出所を言わせ、3日間寝ること許さず、また看板を首にかけて、他の受刑者と一緒に街を引き回して見せしめにした。その後、馬さんは不法に3年の判決をされ、保定労働教養所に拘禁された。馬さんの夫が衣類を持って行ったとき、不法のものは馬さんの夫が他の同修を告発しなかったため、馬さんの夫は再び連行され、不法に3年間労働教養された。

 10歳になったばかりの子供はまた両親を失った。お婆さんは孫の世話ができないため、子供は家を離れ、叔母さんの家へ行った。その間、姑は悲しみで死亡し、最後のときも息子と息子の嫁に会えなかった。

 2003年秋、馬さんの息子は足を折って、毎日ベッドで動けなかった。病気になった子供は更に両親に会いたがり、気持ちはとても重苦しかった。叔母さんは労働教養所へ電話をかけ、馬さんが息子を見舞いに来ることを望んだが、労働教養所に無視された。結局、子供は世話する人がいないため、足はなかなか完治せず、馬さんが家に帰ったとき、息子の足は依然動かず、触ると痛がった。両親が長期に拘禁されたため、子供の気持ちはとても重苦しく、成績も下がった。

 2007年8月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/21/161269.html