修めることであり、煉することでもある——『修』『煉』シリーズは修煉の門の理解を開く
(明慧日本)修煉の話をすると、人々は往々にして教会或いは寺院のことに思いつき、僧侶或いは修道者のことに思いつきます。修とは何か? 煉とは何か? 修煉者はいかに日常の人間関係を扱い、矛盾が日増しに多元化する社会の中で、穏やかな心理状態をいかに保持するのか。また修煉の人々は、この社会に対していかなる影響を及ぼすのか。米国明慧出版社は2006年、『修』『煉』シリーズを出版し、国内外の法輪功学習者の修煉の道の真実を記載して、上述の質問に回答しました。
編集に参加した彭さんは取材の中で、このシリーズが修煉者と非修煉者の意義を紹介したことを示しました。
記者:明慧ネットが『修』『煉』シリーズを編集した目的を紹介してもらえますか?
彭さん:「修煉」この名詞は皆さんよくご存知でしょう。なぜなら、これは中国伝統文化の精髄だからです。ただし、真の修煉とは何か? いかに修煉するのか? すべての人が真正の理解を得ることはありません。古代の修煉者は生命の真諦を尋ねるため、世間の栄華と享楽を捨て、寺院や道観に入り或いは深い山の原生林に身を隠し、先が見えない長い歳月の中で探求していました。現代社会になり、ハイテクが物質の繁栄をもたらしました。しかし、依然として人間の生命の真義に対する戸惑いは解決されませんでした。
1992年に社会に向けて伝えられた法輪大法は、初めて人の昇華圓満の道を明示し、常人社会は真に人の心を磨くところであると人々に教えました。真正の心法の指導によって、修煉者は日常生活の少しの中で万事をできるだけ努力して、他人のために考えることに努め、常に自己の不足を探し、着実に執着を取り除き、心性を修めます。同時に法輪功は5セットの功法があり、修煉者のハイペースな現代生活の中で心身をリラックスし、疾病を除去することを助けます。ではこのような普通また独特の修煉団体の中で、真に修煉したほとんどの人に感動させる物語があり、それを合わせれば修煉者の昇華、圓満へ歩む生き生きとした絵巻が顕れます。
ですから、私たちは世界各地の法輪大法の弟子が明慧ネットで発表した修煉体得と法理切磋の文章を精選し、『修』と『煉』の2セットのシリーズを編集しました。これらの純朴かつ自然な文章は、読者に対して全面的に深い理解を助けることができ、更に私たちは修煉と法輪大法、この修煉団体とは何かを理解できるように望んでいます。
記者:修煉修煉と、人々はこの二文字を口にしますが、私たちが見たこの二つの本は一つ目が「修」、二つ目は「煉」、また一つの時期で区切られていますが、なぜこのようにするのですか。
彭さん:私たちは、選んだ修煉体得と法理切磋の文章が1999年7.20を境目として、それ以前の文は『修』に編集し、それ以降の文は『煉』に編集しました。
1999年7.20、中共は法輪大法に対して残酷な迫害を起こし、大法弟子の修煉環境は巨大な変化が起こりました。それ以前の法輪大法は「人から人へ伝わり」、「心から心へ伝わる」という方式で迅速に広がり、修煉者の数は一億に達しました。平和的な環境の中で、人々は年齢や階層を問わず、「真善忍」の基準を以って心を修め、善に向かいました。個人の向上と、同時に社会に対しても全面的な道徳的回復をもたらしました。
1999年7.20以降、血生臭い迫害の中、大法弟子は逆境の中で自己を練磨し、同時に反迫害、真相伝え、衆生を救う事をやっています。修煉環境の変化に応じて、修煉の具体的な形式にも変化が起こりましたが、修煉の本質は変わりません。「真善忍」は大法弟子の心を修め、善に向かって指導し、昇華していき、反迫害、真相伝えの中で純金になるのです。
これら一億ほどの修煉者はなぜ修煉するのか。彼らは何を修めるのか。彼らは何の為に修煉するのか。何を得たのか。中共の嘘と暴力に対して、これらの修煉者はいかに思うのか。生と死の試練に対して彼らはなぜ修煉を堅持するのか。また彼らはいかに残酷な迫害の中から歩んできたのか。この2セットのシリーズを読めば、読者たちきっとはっきりとした答えが分かり、私たちがなぜ「7.20」の境でこの2セットの本を区別したのか分かると思います。
記者:『修』と『煉』シリーズは、ただ修煉を通じて心身両面に自己を向上する目的の読者にしか向いていないのですか?
彭さん:『修』『煉』シリーズはすべての読者に向いていると思います。法輪大法の修煉者に対して、私たちは「学んで比し、修して比す」、同修の体得と故事を読み、わたしたちの自己の修煉に対しても手本とし、私はこれらの文章を編集する過程の中、いつもこれらの素朴で簡素な物語に感動させられ、その中で私は大法がいかに人の本質から、内心の中から変化させているのかが分かります。これも、私に修煉の道で引き続き進む自信をさらに強めています。
まだ修煉していない人に対して、この2セットのシリーズは修煉を理解する一番良い媒介となります。かつて数多くの友人が「あなた達はどのように修煉していますか、毎日の修煉はどれくらい時間がかかりますか」と私に聞き、修煉は単独な事ではなく、生活の中のわずかな事も私たちの修煉の機会であると彼らに伝えました。わたしたちは二十四時間修煉し、しかも私たちの社会の仕事、勉強や社会の活動には影響がありません。
この2セットのシリーズの文章は、作者たち本人が生活の中の修煉経歴を記述し、例えばすべての人は家族の矛盾があり、社会、生活の中の矛盾または悩み、圧力、あなたはこれらの本を読むと、もし人が修煉し真善忍を以って指導すれば、彼の事情に対していかに変化が起こり、心境はいかに変化が起こるのかを察することができます。同じ一つの矛盾ですが、一人の修煉者は彼の善で解決するかもしれませんし、矛盾を激化させません。生活の中ではすべて平凡のように見えますが、本質は異なります。
読者は自分の目と心で判断する事ができます。法輪大法の修煉者は中共の誹謗とは違います。この2セットのシリーズを読んでみれば、中共の嘘に反撃しなくとも自ら壊滅すると分かるようになります。
記者:『修』『煉』この2セットのシリーズは現在、五巻まで出版し、華人法輪功修煉者の体験談しか掲載されていません。法輪功は世界の八十カ国と地域で幅広く伝わり、他の民族の法輪功修煉者の体験談は以降に出版されますか。
彭さん:この2セットのシリーズはこれから引き続き出版し、合計百巻ほど出版します。当然、中国の法輪功修煉者だけではなく、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、アフリカ各民族の修煉者の体験談が含まれています。
記者:どうもありがとうございました。
この2セットのシリーズを購入したい場合、博大書店に連絡してください(日本語版は出版されていません)。
Tel: 03-3368-3896
Fax: 03-3368-5550
注文メール: order@hakudai.jp
2007年8月25日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/6/24/157519.html)
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