「やり遂げることが修煉」に対する悟り
(明慧日本)一部の物事について、我々は表面に留まっていてはならず、必ず実行すべきです。実際に、実行する過程において、己を昇華させることができます。正を法す過程で、多くのことは表面上、非常に常人的ではありますが、実際に実行すると違いを実感できるはずです。この過程において、我々の心性は絶対に向上できます。例えば、公衆の前などで、あなたは「法輪大法は良い」と言えたら、一歩譲って、「真・善・忍は正しい」と言えたなら、このような簡単な言葉に過ぎませんが、実際に言い出せたなら、そのときの感受は誠に違うでしょう。
私は刑務所に監禁されている中で、あるとき数人の警察と接触した際に、無意識に本性を表し、随意に法輪大法の素晴らしさを伝え始めた。そのとき、彼らは皆、顔が赤くなり、その反応を誠に身体に表した。
正を法すことが進む中、我々にとって、多くのことは、身をもって実行し、着実にレベルアップしなくてはならない。やり遂げるのは真の『修』であります。実例を挙げて説明します。パソコン操作技術を学ぶのは、実はとても簡単なことです。しかし、条件が整っている同修で、この技術を大法の実証に用いていない人もいます。表面上はどうであろうと、私が断言できるのは、例え我々は明慧ネットの概要を読むだけでも、心に必ず反応が起きるはずです。これは、我々の真の向上につながります。
実際に、この世の人々のことを念頭に置いているならば、彼らを救うことは、我々修煉者にとって、いや、例え世の人々にとっても、非常に光栄なことであると感じるはずです。我々が衆生を済度し、宇宙を危機から救い出す真相が明かされる、その瞬間を想像してみてください。例え真相が明かされていない時でも、自分は何も求めていない、世の人のことだけを念じ、「真・善・忍」を修煉していれば、その一念が生じるだけでも、内心では、無限大のエネルギーが湧き出てくるはずです。
このエネルギーは一旦、法を正すことに用いられ、実行されると、我々の正念が生まれ、行動も正しくなるはずです。
2007年8月27日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/8/19/161127.html)
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