直ちに迫害を終わらせることを再び論ずる
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)直ちに迫害を終わらせるということについては、私は学習者たちの意見に賛成します。しかし、法理上、旧勢力とこの迫害の本質をはっきり認識していない学習者がいるため、師父の『米国首都での説法』についての会得に基づいて、自分の考え方を述べさせていただきます。少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
旧勢力に関する認識について、一つ例を挙げて説明します。どこかへ行く途中で狂暴な犬がいるところを通らなければならないとします。犬にかまれると知っていながら、恐れずにそこを通って、目的地に行けるかどうかが我々にとっての一つの試練です。しかし、そこに犬がいないとだめだとか、いくら犬に噛まれても怖くなければ試練に耐えられると言えるとか、更に、犬がいなければ目的地に着けないというような考え方をする人はいないでしょう。
これはとても簡単な例えですが、実は旧勢力に関する見方も、この犬と同じような理屈です。我々は最初から、旧勢力が存在すべきではないことは分かっています。しかし、犬が人を噛むのと同じように、法を正す中、衝突を受けた旧勢力は必ずそれなりに反応するのです。旧勢力に邪魔されずに、堂々と我々が法を正す中でやるべきことをやり通せるかどうかは、我々にとっての一つの試練になりました。しかし、さきほどの理屈と同じように、旧勢力は必ず存在しなければならないとか、旧勢力によって設けられた魔難を乗り越えてはじめて試練に耐えられたとか、法を正すこともこういう魔難によって初めて成功できるなどのように思うことは適切ではありません。
1999年7.20の前の世の中での修煉は、法を正す時期の大法弟子の基準に達するための一つの過程でした。7.20以降、邪悪な弾圧が始まりました。これは法を正す過程に現れた一つの妨害に過ぎません。私たちは法を正すことを成功させるために、その障害を排除しなければなりません。その障害を排除すると同時に、やるべきことをやらなければなりません。ですから邪悪の虚言に対し真相を伝えなければならないのです。その目的は大法を広く伝えることと人を救うことで、宇宙大法を実証するためのものです。真相を伝えましたが、邪悪は悪行を停止するばかりか一層ひどくなり、大法弟子を迫害しました。
そこで、私たちは邪悪の本質を暴くと同時に、世の人々から正義の支持を求め、学習者を救い出そうとしました。つまり、迫害に反対するのです。その目的はやはり、世の人々に邪悪の本質を認識させ、それによって、人々を救い済度するためです。だから、私たちは『九評』を配り、邪悪を暴くのです。私たちが監獄での学習者に敬服するのは、彼らが正真正銘の大法弟子だからです。学習者が邪悪によって投獄され迫害されても屈服せず、大法弟子の偉大さを現し威徳を樹立したから、邪悪が良いことをしたと思う人はいないでしょう。
それは犬の例えと同じですが、犬を恐れず、最後に目的地に着ければ、確かに立派です。だからといって、犬が良いもので、人を噛んでも当たり前だというふうに思ってはいけません。私たちが犬を排斥し、目的地に着くためにその凶悪な犬を殺したとしても当然のことです。旧勢力に対しても同様で、徹底的に悪くなり宇宙大法と対立した以上、旧勢力の存在を徹底的に否定し、旧勢力と衆生を救い済度することを妨害している三界内の乱神を全面的に清掃することは当然です。
旧勢力の迫害を乗り越えた大法弟子が偉大な威徳を樹立したと思う学習者がいるかもしれません。それは間違いありません。ただし、気をつけてほしいのは、別に邪悪に迫害されたから、或いは迫害に耐えたから大法弟子が偉いというわけではありません。本当の威徳は邪悪に迫害されながらも大法を堅持し、大法を実証し、師父の要求された三つのことを着実に行うことにあるのです。ですから、威徳は邪悪によって樹立されたのではなく、大法を修めた結果による大法の威徳なのです。
こういう意味で、いつでもどんな場合でもこの迫害を直ちに止めて大法を実証することが、私たちの変わらぬ立場、一貫したやり方であるべきです。邪悪の迫害が8年も続いたのは私たちがよくやらなかったせいで、邪悪の本質を根本的に見透かしていなかったせいです。実は、師父はこの方面の法理をとっくに説かれましたが、ただ私たちは正しく理解できませんでした。最近の『米国首都での説法』で、師父は次のように教えてくださいました。
「そのため、法を正すこの過程は非常に重要なことであり、旧勢力が思うままに参与することは許されません。特に、法を正すことに関して、私はなぜこれほど自分が歩みたい道を堅持しているのでしょうか? それは未来を切り開いているからです。私が宇宙の中で行なった全ては最も大切にすべきもので、それは将来、私が是認し、承認するものになります。私が要らないものを認めてはならず、是認してはいけません。それは恥なのです」。
師父は何を望んでおられるのでしょうか。それは旧勢力を否定し、排除すると同時に、三つのことをよく行うことであって、旧勢力の邪悪に迫害されながら個人の威徳を樹立することではありません。これは師父が認めないもので、恥なのです。ですから、いつまでも旧勢力を思うままに参与させてはなりません。直ちに迫害を終わらせることこそ、我々の歩むべき道なのです。
修煉する過程で旧勢力に隙に乗じられず、自分の道を歩むようにと師父は指導されておられますが、それは、私たちが自分の道を歩まなければならず、またこのこと自体を大法から証悟する必要があるからです。もし師父が旧勢力を認めないから、全て滅ぼしてしまうとしたら、その過程で私たちも真新しく作り直されることになるのではありませんか。もし作り直されるとしたら、これは本当の私たちなのでしょうか。迫害を直ちに終わらせることは、衆生に大法を認識する時間と機会を与えることになり、選択の機会を与えることになります。その目的は他でもなく、大法を広く伝えることと更に多くの衆生を救い済度するためです。
最近の説法で師父はもう一度はっきり指摘しておられました。「この迫害に対して、異なる次元、異なる生命にそれぞれ違う認識があります。必ず通らなければならない試練の道だと思っている生命もいれば、全宇宙の旧い要素に触れたからもたらされたことだと思っている生命もいます。また、大法弟子のために道を敷いていると思う生命もいます。低次元にいる生命は、正しいものが現れると、邪なものは必ず破壊の作用を果たすと思っています。異なる次元の生命がどのように認識しているにせよ、私は自らのことをしっかり行い、大法弟子は自らの道をしっかり歩むほかありません」。
師父のこの説法から悟ったのですが、以上の異なる次元の生命のそれぞれの認識を皆師父が認められておられないのです。それは旧勢力の考え方だけでなく、旧勢力より高い異なる次元の生命の間違った認識も含まれています。師父は法を正しておられますが、大法弟子は一体どの道を歩むべきでしょうか。それは師父の要請を圓容するということではありませんか。以上の幾つかの法を正すことに対しての間違った認識を否定し、直ちに迫害を終わらせるということが、今の大法弟子の責務ではないでしょうか。
2007年8月28日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/25/161445.html)
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