「老油条」(※)の変化 文/北京大法弟子
(明慧日本)師父の新しい経文『米国首都での説法』を勉強して、現段階に私たち大法弟子は努力して、もっと多くの世の人々を救い済度すべきであり、衆生に責任を持ち、衆生の期待に添い、師父の期待に添うべきであると深く感じた。
ある新しい同僚は古い同級生でもある。何年も商売をして、いっぱい苦労したから、自分ではもういろんな道理がわかり、自分が賢いと思っていた。しかし話を始めると全部党文化の毒害を受けた観念であり、また論拠も十分ふまえていて、それ以外のことは何も聞こうとせず、強く排斥し、無関心だった。
何回も話し合った後、彼は面子のためにいやいやながら「三退」に同意した。しかし心の中ではまた十分納得していなかった。私ともう一人の同修はいろんな機会を利用して、事例を取り上げて、いろんな角度から彼に解釈したり、彼を啓発したり、心を開いて話したり、しかもいろんな面から彼に関心を寄せ、彼のために考えてあげた。
私は何回も意味深くこの頑固で自分でも「老油条」と呼ぶ、この同級生を見ながら言った。「あなたは自分がどれだけ福があるか知っているのか? これほど幸いで、これほど詳しく、繰り返して福音を聞けるなんて、どれほどの人にこんな機会があるのか、知っているのか? 私たちがあなたに言っていることは全部本当のことであり、後日検証されることである。あなたはその日まで生きなければならない、いつかあなたは分る時がくるだろう!」彼は聞いた後、ちょっと感動したようだった。
数カ月後私たちは彼が大法に対して正しく認識して、邪党は必ず滅びるということを認識しており、人間としての基本的な道理を認識して、積極的に邪党を暴露し始めているのを目にした。わたしたちが別の人に真相を伝える時、彼も自ら話に入って、邪党の邪悪を暴露してくれた。私たちはこんなにずるくて頑固な人が大法の慈悲に感化されて、心が溶かされ、救われたのをみて、嬉しく思った。
みなは、北京地域はずっと知らない人に公に真相を伝えることが容易にできないところだと、感じていた。私たちができるだけ親戚と友人や、及び彼らの家族と友人を探して話すなら、北京でも少しずつ相当大きな人数に達し、次第に更に大きな正念の場が形成され、邪悪を取り除き、更に多くの衆生を救い済度することができるのである。
(※)「老油条」とは経験の多い人を指し、貶す意味で使う場合が多い。
2007年8月29日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/8/5/160214.html)
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