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鄭毓聨さんは白馬リュウ労教所の迫害で亡くなった(写真)

(日本明慧)湖南湘郷の法輪功学習者・鄭毓聨さんは、株洲白馬リュウ労教所で残酷な迫害を受けた。釈放されてもずっと体に重い病状が現れていた。2007年3月12日、鄭さんは両目を閉じないまま冤罪を負ってこの世を去った。たったの42歳であった。

鄭毓聨さんの生前の写真

 鄭毓聨さん(女性)は、1964年10月7日生まれで、元長沙多元グループ会社の長沙鉄路順安路料有限公司湘郷采石工場の従業員だった。鄭さんは、1997年7月から法輪功を修煉し始め、「真善忍」に従って人々に接し、良い人柄は会社に周知されていた。

 2004年11月30日、鄭さんは湖南韶山で真相資料を配った時、韶山派出所に連行された。韶山派出所は彼女の家族から5000元(約8万円)をゆすり取った。湘潭七里舗に20日間不法に監禁された後、鄭さんは株洲白馬リュウ労教所に送られ、いわゆる1年半の労教で迫害された。

 株洲白馬リュウ労教所では種々の非人道的な迫害と拷問を受けた。毎日大法と師父を中傷するビデオと書物を見ることを強いられ、会話やトイレに行くことはすべて禁止された。毎日20時間以上連続して高さ5センチの椅子に座らされ、苦しくてたまらなかった。

 2005年7月9日、鄭さんは圧力に苦しめられて書いた「三書」はすべて無効になると労教所に声明した。そのため、彼女は再び残酷な迫害に遭った。壁に向いて10時間以上立たされたり、真夏の7月に、何日間も連続して熱いボイラー室でしゃがまされたり、一つの40cm²くらいのモザイクタイルの上で手をひざに置き、半分うずくまり、長時間にわたって一つの姿勢だったため、鄭さんの大腸は脱腸した。さらに、麻薬犯人らは、悪らつな警察の指示を受け、何日間も連続して彼女を殴った。そして変電室前で蚊の大群に刺され、立たされたりして、苦しめられた。

 株洲白馬リュウ労教所は法輪功学習者を「転向」させ、迫害するために、陰険悪らつ極まりない手段を使い尽くした。人の根本的な尊厳や権利をすべて無視し、勝手に剥奪した。「拘束服」を着せたり、大脳の中枢神経を破壊する薬物を注射したり、窓枠に吊り上げたり、「灌食」を強要したり、小椅子をひっくり返してその四つの脚に学習者を強制的に立たせたりして、すべての悪事をやり尽くした。こうした極限を超えた精神的かつ肉体的な拷問と圧力によって、幾人かの法輪功学習者は精神に異常をきたした。

 2006年4月、鄭さんは労教所から出る20日前、彼女はすでに咳が出たり、爪先が冷たく痺れたりして、歩くのが難しく、視力がぼやけて、味覚が利かないようになった。しかし、労教所に連行される前は、法輪功を修煉したことにより、彼女はずっと非常に健康だった。労教所から家に戻った後、彼女は毎日おかゆを飲むことで維持するしかなかった。こうした状況はよくならずに、体は悪くなる一方で、筋肉は萎縮し痩せこけてしまった。

 2007年の正月に、鄭さんはすでに床についたきり起きられず、食事も食べられなくなり、人の形がもう見えなかった。2007年3月12日、鄭さんは冤罪を負ったまま亡くなった。

 2007年9月3日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/6/16/157006.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/6/20/86945.html