同修の表れから自分の執着を見つけた 文/中国大陸大法弟子
(明慧日本) 私にはこういう同修がいます。各方面の人心、変異の観念がとても重いのです。仕事をするときに、チャンスがあれば、サボったり、油を売ったりしています。私たちの間は一体どういう因縁関係だろうかと、ずいぶん悩んだことがあります。特に、私は修煉状態があまりよくない時や人心が重いときに、彼女の表現もなおさらです。例えば、私が仕事をゆっくりやろうと思うと、彼女はふらふらし、私がちょっと怠けると、彼女はどこかへ逃げてしまうのです。
後で分かったのですが、彼女は拡大鏡のようで、私の人心をいつも彼女のところで拡大して見せてくれているのです。だから、彼女の利己的な行為を目にしたとき、内に向けて探せば、いつも自分の「私の心」を見つけられ、彼女が不満なとき、大体自分も不満な心を持っているのです。
またもう1人の同修がいますが、2003年に大法に触れ、2005年に修煉し始めて、三つのことを行うようになったのです。普段付き合いが多いため、私の執着心も彼女のところで拡大鏡のように反映していることに気がつきました。2006年、師父の新しい経文『悪を取り除く』が発表されてから、彼女は他の学習者から私の分ももらいました。それを読み終わってから、私はうれしくて、彼女に言いました。「これを同修の皆さんに読んであげましょう。スパイの人生の福を取り上げられたことを知らせますから」すると、私はうれしい気持ちを押さえて、厳かに同修たちにそれを読んで聞かせ、同修たちも別によくない反応もありませんでした。ところが、暫く経って、彼女も駆けつけて、私からその経文をとり、大声でもう一回読み上げました。彼女は修煉してから日がまだ浅いし、いろいろな人心もまだ重いので、読み終わってから、先の雰囲気を壊してしまいました。それを目にした私は、それは法を広めるどころか、法を破壊しているのではないかと思いました。しかし、なんとなく彼女のその行動は私の影を拡大しているような気がしました。後で自分に向けて探すと、確かに、その時、私の「厳かさ」の後ろに歓喜心が潜んでいると気づきました。
このような例は他にまだたくさんあります。私が何かに執着すると、彼女はもっと執着してしまうのです。私が安全面に注意しないと、彼女はもっとひどいのです。だから、今相手の表現を見てから、自分を反省し、不足を見つけたら、それを取り除くように考え方を変えました。
以上はちょっとした感想ですが、もし同じような問題に直面している学習者に少しでもお役に立てればとても幸いに思います。不足がありましたら、ご指摘をお願いします。
2007年9月3日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/8/31/161821.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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