二言三言:朝の煉功から常人の思想を放下することを考える 文/淨蓮
(明慧日本)私は大学生です。学校に行っているときは、なかなか煉功が保障できず、夏休みに入ってから、正常な煉功ができるようになりました。しかし、朝早く起きて煉功するのは、私にとって非常に苦しいことでした。今は、眠い盛りの年であるし、夜、正念を発する時間まで我慢して、朝またそんなに早く起きるなんて、とても眠くてたまらないのです。時には煉功しながら夢を見ることもあります。
こんなに早く起きて、日中元気でいられるのかと思っていました。しかし、なんと思おうとも、煉功は間違いないと分かり、やはりできるだけ頑張って続けました。ただずっとこの常人の観念に妨害されていたせいで、朝、煉功するときは眠いのに、他の時間、例えば夜12時の発正念の時はとても頭が冴えているのです。
ある日、寝すぎたので、煉功しませんでした。このように放任してしまうと、翌日に又寝すぎたのです。ちょっと悔しかったですが、心の中で、これで睡眠をたっぷり取ったと思いました。しかし、思いがけないことに、その日、正念を発するとき、体がへなへなして、眠くてたまりませんでした。又、それは普通の意味の眠いのでなくて、全身がへとへとになって、細胞までも萎えてしまった感じでした。私はすぐ分かったのですが、生活規律というものは、皆常人のものであって、常人の睡眠は修煉者にとって一番いい休憩方法ではなく、煉功こそ根本的に問題が解決できるのです。
ささやかな会得ですが、常人の観念に妨害されて、朝の煉功を続けられない学習者とお互いに励まし合いたいと思っています。
2007年9月3日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/1/161827.html)
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