日本明慧
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苦しみを嘗めることについてのちょっとした会得


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)何日か前に『転法輪』を学んだとき、「迷いの中にいるから、最も苦しいわけで、この身体を持つことによって苦しみを嘗めさせられます」を読み、『転法輪』のもう一カ所「あちらでは苦しみがないので修煉ができず、向上することができません」も頭に浮かんできました。私はふっと苦しみを嘗めることに対して、もっと深く会得するようになりました。

 修煉は他ならぬ魔難の中、関門を乗り越える中で修めるのです。しかし、矛盾に出会ったときや、関門を乗り越えるときには、自分自身を制御することができず、やはりまずどうしてこんなに気持ちを悪くさせるのか、どうしてこんな酷い目に遭わされるのかという考えが閃き、人心を動かしてしまいます。修煉は苦しみを嘗めて始めて、業が返済でき、心性が高められ、功が伸びるという法理を知っているのに、やはり消極的に対処しがちです。

 この度、師父に悟らせていただき、分かったのですが、私たちは人身があって、常人の次元にいるからこそ、各方面の魔難に出会い、苦しみを嘗めて、修煉でき、向上できるのです。これは宇宙のほかのいかなる次元でもできないことです。私たちは幸運にも師父に導いていただき、大法の修煉ができ、法を正す時期の大法弟子になったのです。師父はすでにこの上ない光栄を用意してくださいましたが、それを賜るかどうかは私達の努力次第です。こういう意味では、私たちの出会ったすべての魔難、試練、関門を大事にしなければならないのではありませんか。(勿論旧勢力の邪悪な迫害は含まれていない、それは全面的に否定すべきである)それは師父が私たちのために用意してくださった向上への階段ではありませんか?

 これらを悟ってから、師父の慈悲深い済度に背かないよう、よくやっていこうと決意しました。これからの修煉の道を「本当に吃苦を当(まさに)に楽と成す)」(『洪 吟』)のように歩んでいきたいと思います。そして、師の恩に背かないように学習者の皆さんとともに精進していこうと望んでいます。次元に限られた認識ですが、不当なところがありましたら、慈悲なるご指摘お願いします。

 2007年9月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/9/3/161945.html